2016年6月24日金曜日

モンゴルでの国際仲裁

モンゴルの法律も裁判制度も、外国人にとってはたしかにわかりにくい上に不安定な感じがして、あまり関わりたくないと考える人が多いだろう。モンゴルの弁護士が、SNSで知り合った外国人に自分の職業を教えたら、「ああ、あの法律のない国の弁護士ですか」という返事があったという笑い話?もある(自虐的なジョークだが、僕に言わせれば、こういうことを自分で言えるということは、それなりにまともな国ということだ)。

さて、モンゴルの法律や裁判がちょっと苦手な貴方にも、モンゴルの司法制度は別の紛争解決の選択肢を提供してくれている。調停と仲裁だ。調停については、僕はこの6年近く調停法の制定や制度の普及のために働いてきた。話し合いで紛争解決する制度なので法律や裁判制度を詳細に知らなくても利用できる。手数料も格安である。
今回ご紹介したいのは仲裁だ。モンゴルもいわゆるニューヨーク条約に加盟しているので、モンゴル国立国際仲裁センターの仲裁裁定は日本を含む多数の国で強制執行もできる(もちろんモンゴルでも強制執行できる)。一審制なので解決までの時間を大幅に節約できるし、当事者が合意したら仲裁の言語を日本語にしたり、仲裁で用いる法律を日本法とするようなこともできる。

このような便利な仲裁であるが、利用にあたっては当事者の合意が必要。だから、通常、紛争になっていない、契約を締結する段階で、紛争が生じたら仲裁を利用する旨の条項(仲裁条項)を契約書に入れておくのが望ましい。
モンゴルに進出する日本企業でよくある失敗が、紛争が生じた際の合意管轄を「東京地裁」などとする場合だ。日本で勝訴してもその判決をモンゴルで強制執行できない(逆も同じと思われる)。東京で勝訴しても、モンゴルで強制執行しようとすればモンゴルの裁判所で同じ裁判を繰り返す必要がある。仲裁の場合、相互に執行できるのでこのような問題は生じない。

ところで、国際仲裁、国内仲裁に限らず、仲裁人に登録されているという弁護士や学者は数多いのだが、実際に仲裁人として仕事をしたことがある人というのはかなり少ないと思われる。これは、仲裁事件の数が少ないことが主な原因だ。僕自身も、数年前からモンゴル国立国際仲裁センターの仲裁人だが、これまで実際に仲裁事件を担当したことはなかった。
それが、今年になって、仲裁事件が1件回ってきた。詳細は避けるが日本企業は絡んでいない。第三国の仲裁人として僕が選任された。結局、数回期日を繰り返して、先日、仲裁裁定書を書くことができた。僕は裁判官ではないので訴訟を指揮したことはないが、書記官として裁判官の横でたっぷり訴訟の進め方は見ている。仲裁についても、まあだいたい裁判と一緒と考えて、また、仲裁を行った経験のある弁護士に相談したりして、自分なりに手続を進めることができた。単独仲裁人だったので(通常は3人の合議)、すべての手続を自分で考えて行う必要があって、また、結構積極的に発言するモンゴルの弁護士たちをコントロールしなければならず、緊張もした。
一番驚いたのが、仲裁機関の書記官の有能さだ。僕についてくれた書記官はとても有能で、慣れない僕に対して、手続の進め方や裁定書の記載など丁寧にきちんとお膳立てしてくれた。書記官の能力は、その手続のレベルを反映している。僕も日本の裁判所で4年間書記官をしていたので、記録の作成の仕方や、手続の準備などを見ているとだいたい書記官の能力の想像がつくつもりでいるのだが、仲裁廷の書記官を見る限り、モンゴルの国際仲裁は結構いい線行っていると思う。
あとは通訳をしてくれたモンゴル弁護士などの力も借りて、なんとか、手続をすすめられた。

国内の仲裁を担当することですらかなり珍しいことだと思うので、外国、しかもモンゴルでの仲裁人経験というのはとても貴重な経験だ。仲裁廷を仕切るというのも僕にとっては緊張感があり自分の勉強にもなる。「ほかに事件があったらなんでもやるから回してね」と仲裁センターにアピールしておいた。


2016年6月23日木曜日

無理心中論

一家心中、無理心中を試みて生き残った人に対する刑罰は、一般的に軽くなる傾向にあると思う。たとえば、2005年に発生した中津川一家6人殺傷事件では、犯人は5人を殺しているにも関わらず死刑が回避されている。
理屈はある。家族内の確執から生じた事件であるから再犯可能性は低いし、家族外に影響を及ぼしていないから社会秩序に対する影響も少ないかもしれない。
しかし、被害者の立場からすれば、これはとんでもないことだ。また、1人殺して死刑になる人もいれば、5人殺して無期懲役の人もいるというのは不公平極まりない。「結局、なんだかんだいっても国というのは国民を守っているのではなくて、社会秩序を守ってるんだよ」と冷めた目線になることは、刑法が「殺人」を処罰している本質、つまり生命は大事だよという価値観がウソということになってしまわないか。

そもそも、無理心中という言葉遣いがおかしいのである。僕らはしょっちゅう無理心中という言葉を聞くが、聞き慣れてしまって当然のように受け流している。でも、「無理」に人を殺しているのだから、これは「心中」ではありえない。心を合わせて死んでいない。「心中」は、要するに、曽根崎心中や心中天網島を持ち出すまでもなく、男女の相愛から来ている言葉だ。「無理」とは決定的に矛盾する(刑法的には本当の心中は「同意殺人」になるだろうか)。徳島に「南浜字東浜」みたいな地名があって、どっちやねんと思ったことがあるが、それと同様、いや、それ以上に矛盾している。

この矛盾だらけの「無理心中」という言葉。これが一人歩きすることによって、僕らは「ふーん。無理心中な」と細かい事情も意識せずに納得してしまう。でも、「無理心中」は単なる「一家殺人」であって、決して「心中」ではありえない。さらにいえば、心を合わせていない証拠に、たいての場合無理心中は犯人が生き残る。お前が一番死にたいはずなのに、お前だけが生き残る。性根のことは言わないとしても、客観的な行動としても、完全に言っていることとやっていることが矛盾しているのだ。「残される家族のことを考えると不憫でした」とかいう発言自体がたぶんウソなのだ。

家族を皆殺しにして自分だけ生き残った犯人を「無理心中」と呼ぶことによって、彼の悪性は忘却され、「心中」という言葉に内在する良い面、世間の共感・同情がラベリングされる。そして犯人は裁判では適当な反省の弁を述べるがそれは上っ面の反省だ。本当の反省があるのなら、犯人が生きることは最も反省のないことの証だ。今からでも遅くはない、自殺を図るのが本来の筋だ。西郷隆盛は月照とともに錦江湾に入水して生き残ったが、「生きることが償いです」などとあほなことは言っていない。もちろん本気で死のうとしたのだ。

日本には、「パチンコは賭博ではない」「飛田新地では自由恋愛が行われている」「自衛隊は軍隊でない」といった欺瞞がまかり通っているが、僕たちがもっと正直になるためには、それらと同様の「無理心中」という訳のわからない、いや、むしろ真実をゆがめる有害な言葉を使わない、「家族殺人」「子殺し」「親殺し」と言い直すことからはじめてみたい。

2016年6月22日水曜日

司法試験の合格者について

いまだに「オカさんは新しい司法試験で合格したのですか?」と質問なさる人がいる(新しくなって何年経ってるねんという話だがそれはおいておく)。こういう質問をするのは、だいたいがお客さんではなくて、単なる知り合い程度の人だ。
彼らの質問の趣旨はわかっているつもりなので「はい、そうなんですよ。だいたい50%も合格した第1回の新司法試験で合格しました!」「昔の難しい試験では到底合格できないんでラッキーでした!」「ちなみに大学院も学歴ロンダリングです!」といったことをランダムに回答していく。要するに、彼らが言いたいことを先回りするのだが、それでも、「最近は弁護士さんもたいへんですね」とか頑張ってかぶせてきていただけるのはありがたい。もちろんこちらとしても「生きていくのがやっとです」とフォローも忘れていない(念のために、僕のこれらの回答は心から真実だと思っていることだ)。

さてさて、以上の不毛極まりないやりとりからも明白なとおり、要するに、弁護士というのは弁護士以外からはたいへんに嫌われている仕事です。そこで、なんとか日本社会で生きさせていただくために、僕らはなにをしたらいいのかという話をしたい。

僕は、弁護士人口を増加するのはこれは非常に重要なことだと思ってきた。弁護士がかつてのような特権的な仕事でなくなるとともに、これら嫉妬やねたみや非難や恐怖心は、徐々に薄まり、弁護士は社会の一員として受け入れられるのではなかろうか、と。
しかし、そうはいかなかった。弁護士が増加すればするほど弁護士に対する非難というか、馬鹿にする傾向がむしろ増加しているように思われる。ということは、遠回しに「収入低いですね」と馬鹿にされるということは、まだまだ弁護士は権威だということである。みなさん○○業の人にそういう言い方はしないわけだ。

にもかかわらず、最近では日弁連もが新司法試験の合格者の減少を提言し、1500人程度まで合格者を減らす方針となっている。愚かしいことだ。弁護士はもっともっと増やして、いまさら「新ですか?」とかいう質問もあほらしいくらいの状態にならなければならない。いっぱい弁護士いますけど何か?収入低いですけど何か?学歴ロンダリングですけど何か?新試験ですけど何か?と当然のように堂々と問い返すことができる程度にならなければ意味がない。司法試験合格者を減らせというのは弁護士業界での王道の主張だが、僕は基本的にこれはくだらない、ウソだらけの主張だと思っている。だから、それがまかり通っているようではこれまでの弁護士(法曹)制度の繰り返しがなされるだけであり、そういう意味では、冒頭のような失礼極まりない問いかけに回答しているのも、自業自得、税金みたいなもんと考えるしかないのかもしれない。

2016年6月19日日曜日

モンゴル往復はしんどいけど楽しい

今回は完全に個人的な「気持ち」を書こうと思う。

僕は最近頻繁に仕事でモンゴルと日本とを往復する生活をしている。

最近は、大阪を昼の便で出てソウルまで行き、ソウルで6時間ほど待ってからウランバートルに深夜日が変わるころに到着する、というパターンでモンゴルに行き、10日前後モンゴルで仕事をして、帰りは、深夜日が変わるころにウランバートルを出発してソウルに行き、ソウルで朝4時から9時ごろまで待ってから大阪に昼ごろ戻るという、こういう旅程のことが多い。
たいてい、翌日の朝1で大学の授業が2コマ連続してあり、前週休講しているからその補講を翌々日の朝1から2コマ連続して行う。そんなことをしながら日本で3週間弱過ごすと、またモンゴルに行く時期になる・・・・
ほぼ毎月10日以上(1年では120日、約1/3)はモンゴルにも住んでいることになるが、こんな感じでモンゴルと日本両方で仕事ができるというのは、しんどいけれど楽しい。

いや、正確に言えば、仕事はほとんどモンゴルでのものだ。僕が、JICAの契約が切れてから直面したのが、どうやって食っていくかということだ。これはもう自分で稼ぐしかない。モンゴル滞在の主目的は大使館の仕事をすることなのだが、これだけで家族を養える金額はもらえない。だから、日本に事務所を作ることにした。しかし、6月1日に法律事務所を開いてはや20日が経つが、事務所に来て仕事を依頼してくださったお客さんはまだ1人もいない。ありがちだが、保険や書籍やインターネット広告の営業の人が来ただけである。僕には、日本での収入というのはほぼない。

結局、僕の収入の90%以上はモンゴル関係で成り立っていることになる。逆に言うと、日本の弁護士というだけでは、僕には今現在ほとんどニーズがない状態だ。というわけで、今のところ日本の仕事については(大学以外は)考慮しなくて良いので、モンゴル関係の仕事に力を注ぐことができている。モンゴルの仕事は、とっても時間と労力がかかるのだが、仕事しながら勉強させてもらっていると思うことにしている。
このように、僕は今の状況にそれほど不満はないのだが、とはいえ、近い将来「日本の仕事がいっぱいでモンゴルに行く時間がどうしても作れない!」と言えるようになりたい。

2016年6月9日木曜日

労働契約の期間(モンゴル)

労働契約における期間の定めというのは、重要な問題である。
一般的に、日本でもモンゴルでも期間の定めのある労働契約よりも、期間の定めのない労働契約のほうが労働者に有利だ。これは、期間の定めがない場合には、いつでも労働者は辞職できる反面、使用者は解雇が容易に認められないことが主な理由だ。

さて、モンゴル労働法には、正規雇用の労働者は期間の定めがないものとすると規定している。季節労働者、産休育休などの代替労働者、試用期間といった特に期間の定めをすることが合理的な場合を除いては、期間を定めた雇用契約が締結できないようにも思われる。

これは、使用者にとっては結構めんどうな規定だ。
アルバイトとかパートタイムとか言われる、時間単位で給与計算して雇用する労働者を使いたい場合というのは時々出てくる。そんなときに、期間の定めができないとなると、これは非常に困ってしまう。
一応、労働法にも、労働者と合意すれば正規雇用であっても期間を定められるとあるのだが、この合意というのがくせ者で、裁判所でもなかなか認められない。労働者が自分に不利益な期間の定めを受け入れるというのはきわめて例外的な場合に限られるとされているからだ。

アルバイト、パートタイム労働者について、モンゴルでは事実上合法的に雇用できないのではないか?
実を言うと、最近まで僕もそう考えていた。
しかし、最近は雇用できるという扱いに法律実務上でもなってきているようだ。

どういうことかというと2つくらいの説があるらしい。
1つは、そもそも「正規雇用の労働者」にアルバイトやパートタイマーはあたらないという説である。
もう1つは、「正規雇用の労働者」にあたるが、合意を比較的緩やかに考えるという説である。
前者は、モンゴル労働法があえてアルバイトやパートタイマーについて記載しなかったのはこれらを正規労働者にすべきと考えていたからと思われること、後者は、合意を厳格に考える最高裁の解釈などと異なる理解であることから、それぞれ批判は可能である。

しかし、これらの労働者を雇用する実際の必要性が強いことはすでに見たとおりであるし、期間の定めを設けてもよいと国立大の教官も述べるようになっている事実からは、現状はモンゴルではアルバイトやパートタイマーを期間を定めて雇用しても、問題にならなくなっているのではないかと思われる。
小さいことだけれど、実際に現地で事業を行う人にとっては結構重要な変化だといえるだろう。

2016年6月3日金曜日

大正法律事務所(大阪市大正区の弁護士事務所)

しばらくこのブログの更新をしていませんでした。

私は、昨年(2015年)12月に調停プロジェクトは終了し、2045日間に及んだJICA専門家業務を終え帰国しました。
ただ、その後も、在モンゴル日本大使館の日系企業支援業務委託弁護士として、毎月1週間程度の期間モンゴルに滞在して、日本企業の皆様の法律相談などをしています。


さて、このたび、私は、大阪市大正区に「大正法律事務所」を設立することとなりました。(WEBサイトはこちら→http://www.taisho-law.com/
大正区には現在弁護士事務所がありません。地域の皆様に密着したサービスの提供を目指します。モンゴル法関係の業務を引き続き力を入れたいと思います。
どうぞ、大正法律事務所をよろしくお願いいたします。

年齢を意識する

 高校の同窓会の案内が届いた。卒業後30年以上経ってはじめての同窓会である。同級生は皆50歳を超えている。生憎、所用で参加できないのだが、いまだに14歳のときから考えていることはほとんどおんなじで年齢を意識することなどほとんどないぼくも、ああ、おじいさんになったのかとしみじみする...