2014年5月26日月曜日

モンゴル・印紙税

領収書に貼る収入印紙ですが、今年の4月から日本では受取金額5万円以下のものについては非課税になったそうです。
真:1926年発行とされるモンゴル収入印紙


ところで、モンゴルにも「印紙税法」という法律があります。
たとえば、裁判所に訴状を提出する際、訴訟手数料を支払う必要があるのですが、この手数料は印紙税法で定まっています。日本でも、裁判所に訴状を提出する際、収入印紙を貼って提出しますので、手続としては日本と同じです。その他、40種類以上の国家サービスについてそれぞれ税額が定められており、印紙税を支払う必要があります。私は、2013年に裁判所で新設した手続の印紙税を定める作業、それに伴う印紙税法の改正作業をしたことがありますが、法律の仕組みそのものについては全く違和感なく理解できました。
写真:同上


しかし、実際にモンゴルでの印紙税の支払方法を見てみると、日本とは全く異なります。もっとも疑問に思うのは、「印紙」税といいながら、モンゴルには、収入印紙がないのです。
ではどうやって印紙税を支払うのか。これは、近くの銀行で印紙税相当額の振込を国の指定口座あてに行い、その振込伝票を添付することで印紙税の支払証明としています。印紙がないのに印紙税という名称であることについては非常に気になっていて、調べてみました。モンゴルでも昔は印紙があったようです。1926年発行の収入印紙ということで、写真のものを見つけました。印紙税という名称はこの名残であると思われます。

2014年5月24日土曜日

モンゴル・投資法批判への反論

モンゴルでは、2013103日に投資法が可決されました。
この投資法制定の背景には、前年に可決された外資規制法の不人気があります。外国投資を大きく規制する内容の外資規制法は、過度な規制であるうえに不安的な内容であると理解され、外国投資は極端に落ち込みました。投資法の制定により、不評であった外資規制法は廃止され、外国投資家が安心して投資できる環境の整備が図られたのです。
しかし、モンゴル政府(国会)に対する外国投資家の不信感は払拭できていません。投資法制定直後から、その内容は外国投資家保護のためには不十分であるとの批判がなされています。モンゴルで活動する日本企業の担当者やコンサルタントなどからも、投資法に対する批判ばかりが聞かれます。
写真:チンギスハーン広場
このような、投資法に対する不信感の表れでしょうか。次のようなうわさが流れているとモンゴル在住の日本人から聞きました。
「投資法には外国投資家の資産を強制的に収用できる条項が入っており、モンゴルが経済危機に陥った場合には、銀行口座から政府がお金を没収できるようになっている。真っ先に狙われるのが外国投資家の銀行口座である」。こういううわさが日本人の間で出回っていることは悲しむべき事態だと思いますが、私は意見を求められて次のように答えました。「うわさを流している人は、投資法6.4のことを誤解しているのだと思われる。投資法6.4には、『投資家の資産は,公共の利益の観点から,法律の定める規定に基づく場合に限り、全額を補償することを条件として収用することができる』とある。しかし、公共のために財産権が制限されるのは、モンゴル国民でも同じである。日本でもこの点は変わらない。投資法は、かえって、6.3で不当な没収を禁じており、6.4の趣旨は『法律の定める規定に基づく限り』、『全額の補償』をするという、投資家保護の内容にある。6.4は、6条の表題『投資の一般的な法的保証』どおり、投資家保護のための条項である」。
法律を率直に読めばこのような理解にならざるを得ないのですが、投資法に対して批判的な人は、適当な意見を聞いて、内容を曲解してしまうこともあるようです。また、モンゴルの法情報は非常に限定されていることから、このような、声だけが大きい人の意見に企業などがまどわされるといった弊害も大きいと感じます。
写真:チンギスハーン広場のスフバートル像

ところで、私自身は投資法についてそれほど悪法だとは考えていません。自国の利益のためにある程度の外資規制をすることは当然どの国でもやっていることであり、日本もその例外ではありません。モンゴルは経済規模も人口も小さい国であり、外国人投資家の思惑どおりに無制限に近い外国投資を認めてしまうことは、国家の存亡に関わると思っています。国際的にみても、モンゴルの外国投資規制はむしろ非情に緩やかです。投資法を批判する人は、「この内容では不十分である」と言いますが、それではどのような内容であれば十分なのか、きちんと条文を読んだ上で対案を出している人を私は見たことがありません。投資法に関しては悪いイメージの先行による的外れな批判ばかりが多いように感じています。

2014年5月22日木曜日

エズニス航空 営業停止?破たん?

今日聞いたニュース。
モンゴルの民間航空会社エズニス航空(Eznis Airways)が営業停止するとのこと。これまでモンゴルの地方に行くときには何度か利用していた航空会社で、フブスグル県、ザブハン県などに行ったときに使った気がします。
写真:ザブハンの空港に停止中のエズニス航空機 


写真:ザブハンの空港


親会社はMobicomの親会社でもあるニューコム(KDDIや住友商事の関連会社)ですので、助けることも可能なのでしょうが・・・
エズニスは日本のANAと戦略的パートナーシップを締結しています。ANAが買取を打診していたのですが断ったとのうわさもあります。

写真:フブスグルの空港に着陸したエズニス航空機


これまで安泰だと思っていた会社が一夜にして営業停止という現実。言葉の壁もあって、海外での投資というのはリスクも大きいです。

2014年5月21日水曜日

モンゴルの地方都市⑧ ゴビスンベル県 チョイル

ゴビスンベル県の県都チョイルのイメージは小さい村といった感じです。

私はチョイルで一泊しましたが、宿泊するホテルがなく、県庁に宿泊することになりました。
※県庁の最上階が宿泊施設になっています。
写真:ゴビスンベル県庁 


写真:チョイル郊外


ゴビスンベル県は、首都ウランバートルから約230km南東にあります。
チョイルの人口は約8000人とのことです。
チョイルには社会主義時代、軍事基地がありました。現在は、刑務所があるそうですが、
いずれにしてもあまり良い施設ではないですね。
写真:チョイル中心部の町並み


夜12時近くに到着したところ、開いているレストランなどもなく、
持参のカップラーメン(どん兵衛とUFOという贅沢)をすすりました。
私は翌日仕事を済ませると早々に立ち去りました。
写真:チョイルの町の中 


写真:チョイルの町の中 

2014年5月19日月曜日

モンゴルの地方都市⑦ ドルノゴビ県 サインシャンド

ドルノゴビ県サインシャンドはドルノゴビ県の県都です。私は国境のザミーンウデから自動車で向かいました。サインシャンドは人口2万人程度の町とのことですが、町の様子は比較的活気がありました。サインシャンドはゴビ砂漠の東にありますが、この地を工業団地にするプロジェクトが進んでいます。
写真:サインシャンドの町並み



写真:ドルノゴビ県庁


サインシャンド近郊にはモンゴルでパワースポットとして有名な「エネルギー・センター」があります。
付くに転生ラマがいるハマリンヒードという寺院があり、そこの僧侶がパワー・スポットを案内してくれました。この寺院にはかつて日本人がいたという話もありますし、パワースポットに日本の皇族が訪問されたという話もあります。
 写真:エネルギー・センター


写真:エネルギー・センター付近にある僧院の遺跡


パワースポットは確かに不思議な感覚がする場所です。モンゴルでも有名で「パワースポット行ってきたよ」と言うと話のネタとしても盛り上がること請け合いです。

2014年5月15日木曜日

モンゴルの地方都市⑥ ドルノゴビ県 ザミーウデ

2013年4月末、モンゴル南西部のドルノゴビ県ザミーンウデを訪問しました。
ザミーンウデはウランバートルから約650キロメートルの位置にあります。「道の扉」という意味。中国国境に近接する町で、ウランバートルから北京へ至る鉄道が走っています。ウランバートルから寝台列車に乗り、15時間程度で到着しました。鉄道の乗客は、中国側の国境の町である、二連 (エレン)に行く人が多いです。
写真:ウランバートル駅


写真:食堂車での食事 


写真:夜走り続けて翌朝に到着します


ザミーンウデの人に聞いたところ、日常の買い物や食事なども二連(エレン)でしているとのこと。中国のほうがだいぶ物価が安く物も豊富にあるようです。その結果でしょうか、ザミーン・ウデの町自体はあまり発展していないように見えました。
写真:ザミーンウデ駅のホーム



ザミーンウデには鉄道のモンゴル国内向けコンテナの詰め替え基地が日本の援助で建設されています。それまでは二連(エレン)にしか基地がなく膨大な量の貨物が滞留していたようです。現在、ザミーン・ウデの詰め替え基地も飽和状態で近く拡張予定とのことです。寝台列車での旅だったので、いつもの自動車での旅行とは違いとてもゆったりとできました。
写真:ザミーンウデ郊外

写真:なにもない砂漠が広がります

2014年5月14日水曜日

モンゴルの地方都市⑤ ヘンティ県 チンギス・ハーン(旧ウンドゥル・ハーン)

2013年4月、ヘンティ県の県都チンギス・ハーンに行きました。
私が訪れた当時この町の名前は「ウンドゥル・ハーン」でしたが、2013年11月に「チンギスハーン」に改名しています。

ウランバートルからは東に約300キロの距離であり、チンギス・ハーン市の人口は約15000人です。県北部はロシアと隣接しています。ヘンティ県は、チンギス・ハーンの生誕地とされており特に県の南部のガルシャル地域は、モンゴルで最も早い馬の産地として有名です。

写真:県庁前にあるチンギス・ハーン像

写真:ウンドゥル・ハーンからチンギス・ハーンに都市の名称を変更する決定書


ヘンティ県に行かれた方はお分かりと思いますが「チンギス・ハーン」という名前の店が非常に多いです。なんでもかんでもチンギス・ハーンという印象で、この地の人の思い入れが感じられます。私は、2013年8月には、県都から少し山に入ったハル・ズフニィ・フフ・ノール(黒い心臓の青い湖)という湖に隣接するキャンプにも宿泊しました。チンギス・ハーンがこの付近で結婚式をしたとのことで、歴代ハーンの碑が建てられています。
写真:ハル・ズフニィ・フフ・ノールの美しい風景


2013年4月の訪問では県知事ともお食事をさせていただきましたが、ヘンティ県は外国人観光客の誘致も進めたいとのことでした。私は「マラソン好きの日本人向けに『チンギス・ハーン・マラソン』をやってみたらどうですか?」と、くだらないご提案してみましたが、「いいアイディアですね」と流されました(笑)
写真:ヘンティ県の郊外

2014年5月13日火曜日

モンゴルの地方都市④ スフバートル県 バローンオルト

2013年4月、スフバートル県バローンオルトを訪問しました。
スフバートル県はモンゴル東端の県で、中国・内モンゴル自治区と隣接しています。ウランバートル市から約600キロ離れており、人口は約1万5000人と小さい県都です。この周囲は広大な平原で全くなにもありません。聖なる山などが付近にあるそうですが、時間の関係と旅の疲れで立ち寄ることはありませんでした。
 写真:何もない大地を走り続けます


写真:見渡す限りの大草原 


写真:道は悪くこのような車両に出会いました。引っ張って助けてあげましたが、
モンゴルの郊外を車両1台で走るのはたいへん危険です。


「砂ぼうず」という漫画があるのですが、私にとって、この町のイメージは「砂ぼうずの町」です。写真をごらんになっていただければお分かりのとおり、全体に砂の町のイメージがあります。4月だというのに非常に暑く乾燥していました。県庁前広場だけは舗装されており、建国の英雄スフバートルの立派な銅像があります。
このような町でも外国人(欧米人)が1人住んでいるそうです。日本人は住んでいないとのこと。私はこの町で2泊したのですが、ウォッカで悪酔いした記憶が印象深く残っています。
最終日には、著名な馬の調教師とお会することができました。バローンオルトは速い馬の産地として昔から有名です。モンゴルでは競馬が盛んです。富裕層には自ら馬を所有することが流行しており、良馬を見極めて育成する調教師の需要は高いようです。
 写真:バローンオルトの中心部近く。舗装などはされていません。


 写真:県庁前の広場。非常に立派なスフバートルの銅像があります。


写真:町のそばの丘から中心部を一望しました。

2014年5月9日金曜日

モンゴル・公証人

モンゴルに住んでいると、ビザの申請、外国人登録証の発行、ホローの住民登録、自動車の保険加入、家の賃貸契約、インターネットやケーブルテレビの加入契約・・・といろいろな手続が必要になってきます。その都度必要になってくるのが、公証人のはんこです。私自身、モンゴルに来た直後にパスポートのコピーを公証してもらって銀行口座を開き、外国人登録証を作成し、それらのコピーをつけて家を借りる契約をし、さらにその契約書を公証するといった具合で、公証に公証を重ねている状態です。
ところで、公証とは、事実や契約の適法性について公権力を根拠に証明することです。この公証をおこなう人を公証人といいます。
日本では公証人になることは非常に難しく、裁判官、検察官などを退職した人が就任するのが通例です。人数も、550人弱しかいません。これに対し、ウランバートルにはコンビニエンスストアの数と同じくらいの公証人のオフィスがあるイメージです。モンゴルの公証人は約300人であり、これは日本(1億2760万人)とモンゴルの人口(270万人)比(約47:1)を考えて日本の人口に直すと1万4100人。モンゴルには日本の約26倍の比率で公証人がいることになります。


モンゴルの公証人は、司法試験合格者が3年の実務経験を経て公証人試験に合格してようやく就任できるものです。ただ、社会的地位は、裁判官、検察官、弁護士に比してかなり低いことは否めません。最近法改正されるまでは、弁護士で公証人を兼ねている人がかなり多くいました。現在、弁護士の公証人兼任は認められていません。
写真:ウランバートル市内の公証人オフィス。入口で客が並んでいる。


これだけ多数の公証人がいても、モンゴルの公証人のオフィスはいつも人でいっぱいです。モンゴルでは、特に役所関係に限っていえばほとんどどんな書類についても公証が必要となるイメージですので、非常に公証人の仕事は多いと思います。公証人もコピーに証明印を機械的に押していくような感じで事務を進めていきます。公証してもらう書類が多数に及ぶ場合など、本来公証すべき書類に押印していなかったり公証人のサインを忘れなども多いので、しっかり観察しておく必要があります。基本の理屈は、「原本(押印のある文書)は公証しない」「コピーは公証する」「原本(押印)がなければ公証しない」というものですので、慣れてくれば大体の処理方針は理解できると思います。公証人の料金は法務省令で定められており、契約書の公証などにおいては契約金額が基準となります。
写真:公証人のマーク



モンゴルの公証人から法律面でアドバイスを受けることはほとんど望めません。公証を成立要件とする契約もありますが非常に限定されています。公証された文書に基づいて裁判官に執行力を付与してもらう手続もありますが実際には全く運用されていません。このように、法的には、公証の意味はほとんどないともいえます。
しかし、公証された文書を偽造することは、物理的にも心理的にも非常に困難になることは確かです。モンゴルでは公証には偽造防止という重要な存在意義があるといえます。

2014年5月8日木曜日

モンゴル・印刷事情


私は、仕事がら、パンフレットやテキストを印刷することがよくあります。私は、日本では印刷を依頼したことなどないのですが、モンゴルでは100部程度の講義レジュメを印刷する場合、あらゆる面でコピー機を使うよりも印刷会社に依頼したほうが効率がよいので、しばしば印刷会社に依頼しています。安くて早いという点が魅力です。モンゴルの印刷会社の料金は日本と比較しても格段に安いと思います。大体数万円からパンフレットが印刷できますし、本を印刷しても10万円~20万円程度でかなりよいものが仕上がります。製作時間はものによりますが、(依頼者ががんばれば)発注から1週間もあれば十分可能だと思います。
写真:モンゴルの印刷業者に依頼して印刷したレジュメ類。
表紙のロゴなどは業者がほとんど無料でデザインしてくれた。


印刷会社といっても、印刷だけではなく製作の補助もしてくれます。自分たちで作った原稿をもとに、印刷会社の担当者と打ち合わせしてレイアウトなどを考えていきます。私の場合、ワードファイルで原稿を作成し、印刷会社で修正してもらうことが多いです。ポスターを製作したときはおおまかなデザイン案をワードで作成し、イメージと必ず必要な内容を伝え、印刷会社である程度細部をつめてもらいました。また、パンフレットを作成したときには、印刷会社で挿絵を作成してもらったこともありました。ただ、印刷会社の担当者に任せると、挿絵などインターネット上の画像を無断使用するなど著作権侵害をしたり、適当なデザインで作成してしまうことも多いので、担当者と一緒になって作成するくらいの気持ちでいることが依頼者にも求められます。料金は半額前払いのことが多いのでご注意ください。

2014年5月7日水曜日

モンゴルの法律家・弁護士/法曹/委任代理人

モンゴルの法律家について、私がまず驚いたのはその女性の比率の多さでした。私はモンゴルの裁判官と一緒に仕事をすることが多いのですが、特に、民事事件担当の裁判官は圧倒的に女性の数が多いです。たとえば、ある裁判所の裁判官全員が女性ということも普通にあります。昨年聞いた話で現在は違うようですが、男性の民事事件担当裁判官はモンゴル全土で2人だけだということでした。裁判官は400人程度だったと思いますが、それにしても2人というのは少なすぎです。男性は主に刑事事件担当の裁判官になるようです。
写真:モンゴル裁判所のマーク


モンゴルで一般に法律家といえば、裁判官、検察官、弁護士のことを言うのは日本と同じです。ただし、それ以外にも、公証人や大学の法学の先生についても、一般に「法曹(法律専門家)」と呼ばれています。日本と同様モンゴルでも司法試験が行われていますが、これは「法曹試験」というべきもので、この試験に合格した人が法曹を名乗ることができるのです。そして、裁判官、検察官、弁護士といった人は、法曹有資格者の中から、それぞれさらに試験などを経て選抜されることになります。司法試験受験の要件は厳しく、法律の高等教育を受け、さらに2年間の法律実務経験があることが求められます。
写真:モンゴル弁護士会のマーク


モンゴルでは、法曹は対価をもらって法律サービスを提供する許可を受けており、法曹=弁護士に近いものです。ただ、モンゴルにも、弁護士と呼ばれる人はいるので、法曹と弁護士の違いが気になるところです。
結論から申し上げると、弁護士は、裁判所に登録された法曹のことです。裁判所に登録されるためには、司法試験とは別に行われる弁護士試験に合格しなければなりません。弁護士は、裁判で本人を「弁護」できる権限、法廷弁護権(裁判所での特別な代理権限)を持っています。この法廷弁護権は弁護士が独占する権利であり、その結果、本人と同時に法廷に立てるのは弁護士だけとされています。

写真:モンゴル人から「日本の桜」といわれている花。ゴビ方面でこの時期に開花しています。


ところでモンゴルでは、弁護士や法曹でなくても、代理人として裁判で本人を代理することは誰にでも認められています。これを委任代理と呼んでいます。この委任代理人は、本人の能力を補う趣旨で本人に代わって法廷に立つことから、本人と同時に法廷に立てないとされています。刑事訴訟の場合、被告人本人が在廷していますから、委任代理人を用いることはできません。しかし、民事訴訟の場合には本人が出頭しないことはしばしばあることから、委任代理人が活躍することになります。
弁護士ではない「法曹」(退職した裁判官や検察官などが多い)や法曹ですらない人(まだ法曹試験に合格していない法学部の学生や卒業生など)が法律コンサルタントなどを名乗り、委任代理人を業として行っています。弁護士と委任代理の違いは、先に述べたとおり本人と法廷に同時に立てるかどうかなのですが、民事訴訟であれば実際の取り扱いにほとんど違いはないといってよいでしょう。



つまり、日本の「法曹」は、全員が法廷弁護士としての教育を受けていますが、モンゴルの「法曹」は、法廷弁護士である弁護士、事務弁護士である法曹(法律専門家、いわゆるロイヤー)に大きく区分されるといってよいと思います。
そして、弁護士や法曹ですらない人に対しても、委任代理人という形で実質は法廷弁護士と同じ活動を可能にしている点も、モンゴルの特徴的なところです。

モンゴルの地方都市③ ドルノド県チョイバルサン

建国の英雄の名前をとったチョイバルサンは、モンゴル東部の中心地です。一度は行ってみたい場所でした。
チョイバルサンには空港(旧ソ連軍基地)があり、ウランバートルから飛行機で行くことも可能ですが私は自動車で行きました。
舗装道路が途中までしかないので、旅程の後半は未舗装の道路となります。朝7時30分ころウランバートルを出発し、
途中パンクなどのトラブルもあり、到着したのは夜8時すぎでした。
 写真:戦勝記念碑


写真:市場の様子

チョイバルサンは人口4万人弱で、モンゴルでは4番目に大きな都市です。ここにはウラン鉱山があり、
冷戦時代はモンゴル人すら立入禁止措置がとられていました。チョイバルサンからシベリアまでの鉄道も、
ウラン運搬のために建設されました(いまだにモンゴル国内の鉄道には接続させていません)。
このチョイバルサンのさらに東には、ハルハ川があります。1939年のノモンハン事件(モンゴルでは「ハルハ川戦争」)
の舞台となった場所です。豪華な戦勝記念碑もありました。
このような独特の歴史を持つ町ですが、私はここに2泊しました。
写真:町の入り口

写真:中華料理?

特に記憶に残っているのは、中華料理がおいしかったことです。なぜか昼も夜も中華料理を食べていました。
もともとロシア人が多く住んでいた町なので、ロシア料理がおいしいと聞いていたのですが・・・。
公園で子どもが遊びまわったり、ザハなども比較的にぎやかでしたが、日本の下町のようなやや寂れた雰囲気もありました。
写真:町の様子

2014年5月5日月曜日

モンゴルの健康食品・チャツァルガン

モンゴルのスーパーなどでは、オレンジ色をしたジュースをよく見かけます。酸味があり、ビタミン豊富で、元気になるような気がします。日本では飲んだことのない味で結構おいしいので、私もモンゴルに来た当初はよく飲んでいました。モンゴル人もこのジュースは大好きです。これは「チャツァルガン」という、サジー(沙棘)の一種の果汁から作られたものです。

写真:ウランバートルのスーパーで売られるチャツァルガンのジュース


チャツァルガン製品は町で頻繁に見かけ、モンゴルの物産の中では日本人に結構知られているほうです。日本国内で輸入販売をしている業者もちらほら見かけます。チャツァルガン製品で有名なのは、ジュースとオイルです。オイルは食用のほか、塗り薬としても使われています。地方では独自のチャツァルガン製品が売られており、その土地オリジナルのワインや、フブスグル県ではお茶の製品を見つけました。
写真:チャツァルガンのワイン


写真:チャツァルガンの各種オイル。生産量が少なく高価。



写真:チャツェルガンの葉で作られた茶。現在、フブスクグ県でのみ生産。


モンゴル農牧省の発表では、チャツァルガンの収穫量は年間約8万5000トン。野生のチャツァルガンは製品化には適さないので、ほとんどが農園で栽培されています。国内大手2社で約1500トンのジュースを生産しています。オイルの生産は最大手の1社が年間約1500リットル。その他零細企業が合計で年間約200リットルのオイルを生産しています。
モンゴル国内の生産量だけではジュースの生産量にすら不足しますので、実際は、不足分は中国やロシアから同種のサジー類を輸入し、モンゴル産に混入して使用しているとのことです。



チャツァルガンのジュースなどはモンゴルに来たら一度は味わっていただきたい飲み物のひとつです。

2014年5月2日金曜日

モンゴルの地方都市② ドンドゴビ県マンダルゴビ

2013年4月中旬、ドンドゴビ(中部ゴビ)県の県都であるマンダルゴビに行きました。マンダルゴビはウランバートルから南に約300kmの距離にあり、ゴビ砂漠の北のはずれに位置しています。
ウムヌ(南)ゴビからの帰路、マンダルゴビのホテルに1泊し翌日は仕事をしました。
写真:マンダルゴビ県庁


マンダルゴビは、ウムヌ(南)ゴビのダランザドガドと同程度の人口ですが(約1万4000人)、静かで落ち着いた雰囲気の町でした。ダランザドガドは社会主義時代よりも人口が増えているようですが、マンダルゴビはあまり変化がないということなので、そういった事情も影響しているのかもしれません。マンダルゴビ付近には野生のガゼルなどの動物も多くいるようで狩りもできるようです。ただ、ホテルはあまり快適とはいえません。観光客はドンドゴビ県を飛ばして直接ウムヌゴビ県に向かうので、ホテルやレストランといった設備はまだまだ不十分だと感じました。ここの県知事は旧知の人ですが、彼はウランバートルからの道路が早く完全につながることを希望されていました(現在は開通済み)。
写真:町を少し出ると広大な原野が広がっています。


ところで、ゴビから帰って1週間ほど頭がボーとして体調が思わしくありませんでした。何気なく頭を触ったら違和感があり「イボでも出来ているのか?」と思って触るとなんと私の血を吸って、大きく太った「ダニ」が取れました。50円玉と比較した写真をご覧になっていただければおおよその大きさはお分かりいただけると思います。
写真:まさに取れた直後のダニ。この後数日間生きていました。


ウムヌゴビからマンダルゴビに向かう途中ヨーリンアム渓谷(夏でも氷が残っている渓谷。標高2200m)を見物したのですが、そこには無数のダニ(モンゴル語で「ハチグ」)がおり、立っているだけでダニにたかられる状態でした。そのときに気付かずにつれて帰ってきたものと思います。ダニが取れた瞬間、頭のなかの霧が晴れたようにすっきりした気持ちになったことを覚えています。
写真:ダニを連れて帰ったヨーリンアム渓谷

年齢を意識する

 高校の同窓会の案内が届いた。卒業後30年以上経ってはじめての同窓会である。同級生は皆50歳を超えている。生憎、所用で参加できないのだが、いまだに14歳のときから考えていることはほとんどおんなじで年齢を意識することなどほとんどないぼくも、ああ、おじいさんになったのかとしみじみする...