2016年8月28日日曜日

読売新聞(8月28日朝刊)で、岡弁護士が紹介されています



以下、記事を引用します。

海外法整備 支援20年

 ◇JICA 13か国に専門家

 ◇ベトナム、カンボジア・・・ 現地の文化尊重
 国際協力機構(JICA)が海外に弁護士や法学者らを派遣し、法律を整備する支援を20年にわたり続けている。これまでに、市場経済化を図るベトナムや内戦からの復興を目指すカンボジアなどアジアや中東などの13か国で、民法など約30本の法律を現地の文化に合うよう作り上げてきた。参加した神戸市出身の弁護士らは「体験を日本でも生かしたい」と語る。(初田直樹)
 JICAによると、市場経済化を図る「ドイモイ(刷新)政策」を打ち出したベトナムが1991年、日本政府に、民法制定への助力を求めたのがきっかけだった。
 政府開発援助(ODA)の一環で支援体制が整えられ、JICAが96年に弁護士をベトナムに派遣。その後も要請に応える形で、カンボジアやミャンマーなどアジアと中東の10か国にバックアップを開始し、2010年以降はアフリカの2か国にも広がった。20年間に海を渡った弁護士や検察官、元裁判官などの法曹関係者らは延べ約850人にのぼるという。
 こうした援助の最大の特徴は、現地の文化や実情にあった制度を作り上げることだ。
 民法以外の法整備も進めたベトナムでは、村の有力者が紛争を解決するという和解を重んじる慣習があり、新設した民事訴訟法には、裁判所が初めに和解から検討する規定を盛り込んだ。
 カンボジアでは、約10年にわたって民法の草案作りに対応。内戦で土地の所有関係が混乱した実情に合わせて、条件付きで現居住者に所有権を認めたほか、大量虐殺で壊滅状態になった法曹人材の育成も進め、約650人の裁判官と弁護士、検察官が育った。
 海外からの支援要請を受ける法務省の伊藤浩之・国際協力部教官は「法律や制度を根付かせるには、日本の法律を移植するのではなく、現地の人々が自ら考え、自分たちで維持できることが大切だ。時間がかかる地道な仕事だが、地域の安定や経済活動の拡大にもつながる」と話している。

 ◇テレビ出演で電話相談 モンゴルで5年、神戸の岡弁護士
 「社会を変える法の力を再認識できた」。15年までの5年間、モンゴルで調停制度の導入に関わった神戸市出身の岡英男弁護士(44)が語る。
 市場経済化で金銭や家族関係を巡る訴訟が増えた同国では10年から、話し合いで紛争を解決する調停制度の導入が始まっており、新たな派遣を募るJICAの広告を見て応募した。
 現地では、資料を手作りで用意し、裁判官や弁護士らと会議を重ねた。「国民の負担を減らしたい」と調停を熱望する声に共感し、制度導入に反対する裁判官らに進んで声をかけて、理解を呼びかけたという。
 制度面では、司法への不信感が強い現地の事情を考慮し、調停人が個別に当事者の話を聞くやり方ではなく、当事者同士が同席するのを原則とした。PRのため、遊牧民向けテレビ番組に1年間出演し、電話相談を受ける役割もこなした。
 制度は14年2月から全土で始まり、年末までに約6400件の申し立てがあるなど順調という。岡弁護士は「今後は現地の人たちが工夫し、役に立つ制度に育ててほしい」と話した。
2016年08月28日付け読売新聞(兵庫版)から引用http://www.yomiuri.co.jp/local/hyogo/news/20160830-OYTNT50030.html

2016年8月8日月曜日

離婚と不倫、DV

日本では、弁護士がWEBサイト上で広告する場合、過払請求は別として、離婚が主な広告の対象とされている場合が多い。ネット広告で集客する場合、ネット上の集客から法律相談に至る数の50%以上は離婚事件であるというデータもある。

モンゴルでも、日本と同様、離婚・DVというのは多数の顧客の供給源となる事件だ。モンゴルでは離婚は非常に多い。感覚では3組に1組が離婚すると言われている日本(タイムラグや少子化の関係で実際の離婚割合は一般に3組に1組より低くなりますがそれはおいておいて)よりも離婚割合は多いのではないかと感じるほどだ。モンゴルの調停をみていても、離婚やそれにDVが伴う例というのは多い。

ところで、日本とモンゴルとで決定的に違う点がある。これはモンゴルに住んでいる日本人の多くには周知の事実だが、モンゴルでは不倫の慰謝料請求ができない点だ。モンゴルでは、慰謝料は名誉毀損など特別の場合にしか認められていない。したがって、仮にモンゴルで夫が不貞行為をしても、夫や不貞の相手方に慰謝料請求はできないこととなる。これがよいか悪いかは価値判断の問題だ(これに対しての僕の意見はあるが、業務に差し障りそうなのでここでは述べない)。

さて、そういう事情もあって、大正法律事務所でも離婚・DV等の特設サイトを設けることとした。これまで僕は離婚やDV事件、調停手続に関わってきた。それらの経験を生かす試みだ。お気軽にご相談いただきたい。

ここで注目していただきたいのは、DVを一つの柱にしている点だ。DVの加害者側も必要であれば代理する。これは、僕がこれまで加害者側の代理人として保護命令の発令を取り下げさせた経験や、かつて裁判所で保護命令係を担当していた経験があることが大きい。DVについては、もっともっと言いたいこともあるのだが、やはり業務に差し障りがありそうなのでここで述べることは避けておくこととする。なお、海外出張との関係で時間が合わない場合、緊急性の高いDV事件はお断りする場合もあることをご了承ください。


2016年8月2日火曜日

モンゴルでの権利義務の考え方について

モンゴルの法律家と話をしていて気になるのが、表題にあるような権利と義務についての考え方だ。モンゴルの法律家、弁護士は、常に権利と義務のリストを頭に描いて仕事をしているように思われる。
日本の弁護士は、日常、モンゴルの弁護士ほど権利義務を意識していない人が多いはずだ。これは、日本の弁護士が権利・義務をないがしろにしているのとは違う。たとえば、法律相談をするとき、少なくとも僕は、相談者が望んでいる結果を得るためにどのように法律を組み立てて考えればよいのか、つまり、望ましい結論を得るためにはどのような法律構成で請求を実現していくかという発想で話を聞く。たいてい複数の法律構成がありうるが、そのなかでもっとも実現可能性の高そうな方法を選別することとなる。選別の過程で、相談者の主張できそうな権利、負担している義務についても考慮する。要するに、結果・結論・ゴールを見極めた上で、答えから逆算して手段を思考している。

これに対して、多くのモンゴルの弁護士は、まず、法律上、どのような権利・義務があるのかをリストアップして、そこに依頼者の相談内容をあてはめているような感じだ。この発想でいけば、権利・義務のリストを把握することが仕事の重要な要素になる。ごくおおざっぱに言うと、はじめに権利・義務という手段を把握・選択して、そこから自動的に結論を導き出す思考だといえる。

このような違いはなぜ生じたのか。一つの理由として考えられるのは、判例で法律が事実上修正される日本と、最近までそのような仕組みがなかったモンゴルとの違いだろう。
判例で実質的に法律の修正がなされる日本の場合、法律家の仕事は、既存の法律に物事をあてはめるだけでなく、既存の法律をふまえて新しいロジック(「法」といってもよい)を作ることが最も重要となる。少なくとも僕は、法を既存のものとしてではなく、新しく構成できる人がもっとも偉い法律家だと考えている。たとえば、過払い請求の仕組みを構築したという1点だけでも、U弁護士は、政治家としての能力は知らないが、弁護士としては超一流であるのは間違いないだろう。あくまで僕個人の価値観だが、新しい法解釈を作ることができる人がトップの法律家だ。
これに対し、モンゴルでは、極端にいえば法律がすべてだといえる。法律に書いていないことは駄目、法律に書いていることに事実をあてはめて結論が自動的に出てくる。そして、その「書いてあること」の内容の幅、解釈の余地が日本に比べて非常に狭い。こういう社会では、法律家の関心が、権利・義務、つまり法律にどのような記載があるかという点に集約されるのは当然だろう。

モンゴルの法律の構成もこのような考えを前提になされているように思われる。私自身、モンゴルの調停法や裁判所規則の起草に関わって実感したのだが、冒頭に法律の目的、次に用語の定義があるというところまでは違和感がないのだが、その後に詳細な法律上の権利と義務のリストを掲げる点には、少なくとも僕は、(今では慣れたが)ひっかかった。このようなリストを掲げること自体が無意味ではないか(なぜなら掲げられているすべての権利義務は後の具体的条文をみればわかることだから)というのが主な理由だが、このような権利義務のリストを掲げることで、リスト外の事由が生じたときに問題が起こるだろうという不安もあった。法律は世の中で生じるすべての事象を記載することなどできず、また、相当程度抽象化して書かれているからだ。

僕はここで、良い悪いという話をしたいのではない。どちらが正しいとも思わない(あえていえば、どちらもアリだと思う)。
ただ、モンゴルで(不本意にも)法律問題に直面した日本人は、こういった法律家の発想の違いがおそらく理解できない。現地弁護士との間でトラブルになるおそれなしとも言えない。「モンゴルの裁判所、弁護士がおかしい」と言っていても何も変わらない。
少し広い心で、ある程度は価値観を相対化してモンゴルの法律事情、できれば法律家の発想法を知っていただければ、彼らが実は結構良いことを言っていたなんてことがあるかもしれない、より良い解決方法が探れるかもしれない。

年齢を意識する

 高校の同窓会の案内が届いた。卒業後30年以上経ってはじめての同窓会である。同級生は皆50歳を超えている。生憎、所用で参加できないのだが、いまだに14歳のときから考えていることはほとんどおんなじで年齢を意識することなどほとんどないぼくも、ああ、おじいさんになったのかとしみじみする...