2014年6月24日火曜日

裁判官と書記官の間

モンゴルの裁判所は、裁判の記録などを仕事とする裁判所書記官がいる。私自身、かつては裁判所書記官であったので、モンゴルの書記官制度にも関心があり気にしていた。
これまで、モンゴルの裁判所書記官は、直訳すると「裁判官補」であった。日本で「判事補」というと若手の裁判官のことであるが、モンゴルでは同様の言葉で書記官を表している。裁判所書記官が経験を積み昇進して裁判官になるというシステムだったからである。
したがって、最高裁判事以下、モンゴルのほぼ全ての裁判官は、書記官を経験している。
写真:モンゴル最高裁判所(最高裁WEBサイトより)

今年法律が変更され、裁判所書記官は永遠に裁判官になれないシステムが導入された。これは、裁判官と書記官の仕事を明確に分離することに眼目があり、ドイツの援助機関のアドバイスによる変更である。確かに、職務範囲が明確に分離することで、判断過程や職責が明確になるというメリットがあるし、汚職の防止などにも役立つかもしれない。しかし、実際には、この新制度の導入は、モンゴルの裁判所書記官の意欲を完全に失わせてしまった。実際、ベテランの書記官の退職者が続出している。
写真:裁判所の法廷(最高裁WEBサイトより)

モンゴルの書記官は「裁判官補」ゆえ、これまで司法試験合格者から採用されてきた。今回、これまでの書記官は、法廷での記録等を担当する「法廷書記官」と裁判官の秘書的業務をする「裁判官補」に区別されたが、「法廷書記官」も新「裁判官補」も、司法試験が任用資格となっていない。通常の行政公務員である。その結果、今後は書記官から裁判官へ昇進するというシステムも廃止された。書記官は「法廷書記官」と新「裁判官補」との間で官職を異動することはあるが、「裁判官」へ昇進することは永遠になくなった。書記官は一生書記官なのである。司法試験に合格したベテラン書記官とっては、自分たちが苦しい下積みに耐えてきたのは、裁判官になれるという希望があったからである。その希望がないのであれば、弁護士にでも転職しようと思うのは当然の理屈だといえよう。結果、退職して弁護士を開業する書記官が非常に増えている。

実は、日本でも簡易裁判所判事の供給源はほとんどが書記官である。モンゴルの新制度は書記官の希望を全く失わせるものである。これがどのような結果をたどるのか。見守っていきたい。

2014年6月18日水曜日

モンゴルの地方都市⑪ セレンゲ県スフバートル

セレンゲ県スフバートルにはマンダルから直接向かいました。
 写真:県庁前広場。立派なスフバートル像です。


スフバートルは、ウランバートルの北約300キロメートルの場所にあります。ウランバートルから自動車で5時間、鉄道を使って10時間ほどかかります。セレンゲ県の県都で、ロシアと国境を接する町です。シベリア鉄道につながる鉄道が通っており、ロシアとの貿易も盛んで、ロシアの物産などを扱う店があります。なお、セレンゲの特産品としては、ハチミツや川魚の燻製があります。
この町には、第二次世界大戦後、ソ連軍に抑留された日本軍兵士が強制労働に従事していました。町外れには日本人墓地があります。
写真:国境の山峰から眺めたロシア方面


国境の山に登りましたが、セレンゲ川とその周辺の雄大な景色に圧倒されました。その後、群生している「毒つつじ」の花があるということで、国境ゲートをあけてもらい緩衝地帯の人の入らない場所で美しい自然を堪能しました。
写真:国境にある革命兵士の像。ブジョノフカがロシア革命の影響を感じさせる。



写真:群生する毒つつじの花



写真:「お母さんの木」。著名なシャーマンによって発見された聖地。



写真:同上。独特の雰囲気のある場所。





2014年6月17日火曜日

モンゴルの地方都市⑩・セレンゲ県マンダル



2013年5月、セレンゲ県マンダル郡(旧ズーンハラー)を訪問しました。ここは、ウランバートルの北東200km弱の距離にあります。
写真:町の眺め

このあたり一体は、農業が盛んとのこと。町のはずれの丘に登って
眺めると、周辺一体が麦畑になっていました。セレンゲ県はかつて「農業県」といた肥沃な土地です。1922年にはこの地にはじめての国営農場「ハラー農場」が設立されました。1933年の農場は、891世帯2800人、バグ10、家畜数56300頭の大きさであったとの記録があります。かつては、農場で囚人を労働させていたと聞いています。
写真:町の周囲の丘

写真:丘の上のオボー


また、この地では、古くから牧畜業が盛んで、金鉱採掘場もあり鉄道の駅もあります。木工場、人民軍、鉄道駅、10年制小中学校、医科学校などがあり、現在の町の主要産業としては、木材関連があげられます。マンダル・ソムは県庁ではない郡としては、発展している町だと思いました。ホテルも立派な建物でした。名物のウォッカの乾杯で酔っ払いました。
写真:いかにもモンゴルの田舎にいそうな犬
写真:この町ではパトカーの先導がありました

2014年6月10日火曜日

モンゴルの地方都市⑨・ヘンティ県ボルウンドゥル

ヘンティ県ボルウンドゥルに行ってきました。
ウランバートルからゴビスンベル県の首府チョイルを経由して現地に到着します。チョイルを過ぎたあたりから、草原が少なくなり、ゴビの荒地になって来ます。昨年チョイルに行ったときは、まだ道路も舗装されていなかったのですが、今ではチョイルの先(サインシャンド)まで舗装道路が完成しています。

写真:チョイルの町並み

写真:チョイルの立派な舗装道路


チョイルの町も昨年来たときより心なしかきれいになっています。チョイルを少し過ぎたあたりの交差点で北に向かい、40分ほど非舗装の道路を走ってボルウンドゥルに着きます。
写真:鉄道に併走して道路が続いています

写真:ドルウンドゥルの町が見えてきました。


朝8時前にウランバートルを出発しボルウンドゥルに到着したのは午前11時30分ころでしたので、約4時間かかったことになります。
この町の人口は1万人。主要産業は蛍石鉱山とのことで、1000人程度の人が鉱山会社で勤務しているそうです。荒涼とした土地ですが、町のはずれには湧き水が出る場所があり、その周辺は緑で覆われていました。
写真:ボルウンドゥル郊外の水場

2014年6月3日火曜日

UAZ(ワズ)大集合

ワズ(Ulyanovsky Avtomobilny Zavod (ウリヤノフスク自動車工場))という自動車メーカーをご存知でしょうか。
UAZ-452はワズの主力商品ですが、4WDでモンゴルでは特に地方での走行で底力を発揮する自動車です。無骨な見た目のとおり、もともとは軍用車両として生産されました。
写真:壮観です


街中を走っているときには、ワズの速度は到底ランクルに及びません、しかし、郊外の荒地を走行するときには、ランクルと同じかそれ以上の速度で走ることができる優れものです。私自身、ゴビの荒野をランクルで爆走中、ツアーガイドが使っていると思われるワズにさらりと追い抜かれて悔しい思いをしましたなお、乗り心地は最悪とのことです。
写真:UAZ-452(ワズ社公式サイトから引用)

先日、近くの広場にこのワズが大量に停車しているのを見ました。旧車会か?と驚いたのですが、実は全部新車。どうやら、環境省が自然保護など自然環境関連のNGOに対し、自動車を配布する式典だったようです。ワズは趣旨にぴったりの車ですね。

子どもの日

日本で「子どもの日」といえば5月5日ですが、モンゴルでは6月1日です。
この日は祝日ですが今年は日曜日でした(モンゴルには振替休日制度はなし)。
写真:あちこちの広場がイベント会場になっています

子どもの日には、親は子をとことん甘やかします(普段も甘いですが)。
遊園地、ゲーム、お菓子、映画、郊外につれていくなど、子どもを好きなだけ遊ばせる日です。
写真:人口の池でボート遊び

子どもの日は朝からマイクや音楽で騒々しく、街に出ると多数のテントや舞台が建てられ、
各種イベントが行われています。人通りもいつもよりかなり多いです。
写真:権利的に完全にアウトのキャラクターたち


私も外に出てみましたが、親子連れで楽しそうにくつろいでいます。
アイスクリームのイベントなど子どもの日を利用した商品の販促イベントもありました。
レストランなども人だかり。まさにお祭り状態で、喧騒は遅くまで続いていました。
写真:これはアイスクリームイベントです

国際会議

2014年5月30日、モンゴル国会内で、司法改革と比較法に関する国際学術会議が開催されました。私も招待されたので参加してきました。
写真:会場となった国会


モンゴルでは、現在、刑事、民事を問わず、司法改革が進行中です。今回の会議はこの司法改革をテーマに各国との比較をしながら議論する内容でした。
改革に対しては批判もありますが、多くの国民は、司法改革を好意的にみているように感じます。これまでのモンゴルの司法が、国民の信頼を十分に得られていないことが今回の大改革につながっているのだと感じます。
写真:会議場のようす


国会内の会議室での議論は、英語、ドイツ語、モンゴル語が入り混じる白熱したものでしたが、私はまったく言葉が分からずちんぷんかんぷんでした。後から内容を聞いてある程度フォローしましたが。
昼食は国会内の議院食堂で振舞われました。この食堂での食事は何度かしていますが、いつもどおり、まずまずの味でした。ほんとに可もなく不可もなくという感じです。

年齢を意識する

 高校の同窓会の案内が届いた。卒業後30年以上経ってはじめての同窓会である。同級生は皆50歳を超えている。生憎、所用で参加できないのだが、いまだに14歳のときから考えていることはほとんどおんなじで年齢を意識することなどほとんどないぼくも、ああ、おじいさんになったのかとしみじみする...