モンゴルの裁判所に6年近く所属して、間近で裁判所をみてきた(とくに民事訴訟)。
はっきり言う。モンゴルで裁判に関わったことのある日本人は、多く「モンゴルの裁判所はクソだ」という趣旨の発言をする。「外国人は絶対に負ける」とも言う。それらご意見について、そういった意見が出てくる根拠も踏まえた上で、ぼくは、「それは違います」と言いたい。
まず、裁判所について完全な公正、完全に客観的な判断を求めているのであれば、僕は、それは日本の裁判所であってもできてはいないと思っている。日本は、今や国際スタンダードに近いアメリカの裁判ですら「アメリカはおかしい」と批判する国だ。それはそれでいい。アメリカには批判すべき点がいっぱいある。ましてやモンゴルの裁判であるならその何十倍も悪いところがあるに違いない。しかし、僕に言わせれば、日本の裁判はアメリカ人からみればやはり十分な批判に値するに違いない。モンゴル人から見てもだ。
つぎに、僕のみるところモンゴルの裁判はまあだいたい意味がわかる。理解できる。そして、外国人は絶対に勝訴できないということも今はない。ここからさらに次の2つのことがわかる。
1つめ。「日本人であるからモンゴルの裁判で不利に扱われている」という発想がおかしい。同じように扱われているモンゴル人もいっぱいいるということだ。司法制度の外の関係性による有利不利はあるだろう。でも、それは、日本人だから、外国人だからという理由ではなく、「そういう関係を持っていない人だから」という、内外国人の区別とは別のところが理由だ。
2つめ。裁判所との関係性の遠近によって負ける場合でも、その際にあからさまにおかしい判決がされるということはない。一定の合理的理由に基づいて判断したり、差し戻したりという行動を、裁判官はとる。事実認定と、それに対する法律のあてはめ、解釈が裁判官の仕事であり、誰に指図されることなくこれらをすることができるのは、近代司法制度の中の裁判官の必須の条件である。事実認定とあてはめと法適用の中で、あきらかに不合理でない限り、裁判官の判断は尊重されるべきだ。そうした点でも、モンゴルはめちゃくちゃではない。一応筋は通している。
こうみてみると、結局、モンゴルの裁判所はそれほどおかしくないし、やり方によっては十分裁判に勝てるということになる。はっきり言って、こちらに十分な理があるならば、賄賂を使う必要はないし、そうしたことは場合によってはかえって有害でさえある。そして、企業活動などで訴訟によるリスクを低く抑えるためには、結局は、司法との関係性を深める必要があるということとなる(または司法制度とまったく関わらないといという選択もありうるがこれはこれでリスクが高い)。つまり、具体的には、裁判所のことをよくわかっている人の意見というのが大切になってくることがおわかりだろう。
裁判で負けた=日本人だからといった思考は、周回遅れだ。
2016年7月28日木曜日
2016年7月25日月曜日
死刑廃止
モンゴルでは昨年末に刑法が改正されている。
死刑については、こんどの刑法改正によって正式に廃止された。
やめてみたら、なんとかなった。
これが死刑というもののような気がする。国民からアンケートをとって死刑は廃止できませんとどこかの国は言っているが、そんなことはない。死刑執行を停止してみることもアリだ。なければないでどうにかなるのであれば、死刑を廃止することに不都合はない。メリットしかない。
*(7月28日追記)
このように書いた直後、相模原で19人が殺されるという凄惨な事件が起きた。このような事件が起こってしまうと死刑は必要だという話になる。ただ、抑止力という観点からは死刑があってもこのような大量殺人はなくならないことが逆に言えると思うし、復讐心という観点からは1人殺人であっても19人殺人であっても被害者にとってはかけがえのない命であり数の問題ではない(たとえば、子が殺されたとして親の復讐心という観点からは自分の子を殺した者を死刑にしてほしいだけで、他人の子については無関係なはずだ)。結局、被害者と直接関係のない他人が、「死刑にすべき」というのは、余計なことであるという気がしている。
。
刑罰の内容など大改正なのだが、僕が気になっていたのは、死刑制度についてだ。
これまで、モンゴル刑法では死刑が規定されていた。しかし、2010年1月から死刑の執行が停止され、凶悪犯罪には30年の禁固刑が科されていた。
* モンゴルでは1953年~1954年にかけて死刑が廃止されたが、その後法改正で詐欺や交通事故にも死刑が適用された時期もあったという。統計によると、1965年から2005年の間に、裁判所は806人に死刑判決を下しているという。1990年に刑法が改正され、故意の殺人など以外に、死刑は適用されなくなっていた。
モンゴルで死刑が廃止になる過程で、2010年の執行停止は大きな効果があった。大統領の命令で執行停止がはじまったのだが、このとき、国民の多数は死刑は当然の所与のものとして考えており、死刑廃止についてアンケートをとったとしても決して国民の多数が死刑廃止を是とはしなかったであろうと思われる。大統領の、極端に言えば一存で死刑が停止されたのだが、それから6年も経つと、死刑廃止でもよいという考えに議会(つまり国民)が変化したということだ。改正刑法が議会を可決した2015年末というのは翌年6月に控えた議会選挙に向けた動きが激しくなってきた時期であり、国民から批判を受ける改正であれば多くの議員は賛成しない。
やめてみたら、なんとかなった。
これが死刑というもののような気がする。国民からアンケートをとって死刑は廃止できませんとどこかの国は言っているが、そんなことはない。死刑執行を停止してみることもアリだ。なければないでどうにかなるのであれば、死刑を廃止することに不都合はない。メリットしかない。
*(7月28日追記)
このように書いた直後、相模原で19人が殺されるという凄惨な事件が起きた。このような事件が起こってしまうと死刑は必要だという話になる。ただ、抑止力という観点からは死刑があってもこのような大量殺人はなくならないことが逆に言えると思うし、復讐心という観点からは1人殺人であっても19人殺人であっても被害者にとってはかけがえのない命であり数の問題ではない(たとえば、子が殺されたとして親の復讐心という観点からは自分の子を殺した者を死刑にしてほしいだけで、他人の子については無関係なはずだ)。結局、被害者と直接関係のない他人が、「死刑にすべき」というのは、余計なことであるという気がしている。
。
2016年7月18日月曜日
大正法律事務所(その2)
大正事務所の広告をどうしようか考えている。問題はWEBサイトを見て電話して来る人の大半がお客さんではなく営業ばっかりだということだ。広告してカネを稼ぐどころかカネを払ってばかりいたら世話はない。
弁護士のWEBページはもはや誰もがやっている基本だと思うが、それ以外にも、看板から始まり、電車やバスに広告している弁護士事務所も多い。最近いいなと思ったのは、私の住んでいる大阪市北区役所には市民の待合室にモニターが設置されていて、近隣の事業者が広告を出している。静止画像が切り替わっていく形で、その中には弁護士事務所の広告もある。役所での広告は公的な感じがしてイメージがよいし、対象者も弁護士事務所と合っているように思う。
ところで、調べてみると、弁護士事務所の広告というのはいろいろと規制が多い。
たとえば、過去に受任した事件、勝訴率といった内容を表示することは原則禁止とされているし、訪問営業や比較広告といった態様も禁止されている。弁護士事務所で「○○相談センター」という名称を記載している広告などは時々見うけるが、これも誤認のおそれがある広告とされている。「専門分野」の記載は駄目(「重点分野」の記載はOK)というところになると、過剰な規制のような気がする。
中には月額数千万円単位の広告費をかけている弁護士事務所もあるようで、それだけ高額の費用をかけても利益が出ているのだろうから、どういうシステムなのかわからないがすばらしい業態というかシステムを作っている人もいるということである。僕は今のところその1000分の1も費用をかけていないが、まあ、地道に仕事を続けて、少しでも大正法律事務所のことを皆さんに知っていただけるようになればと思う。
弁護士のWEBページはもはや誰もがやっている基本だと思うが、それ以外にも、看板から始まり、電車やバスに広告している弁護士事務所も多い。最近いいなと思ったのは、私の住んでいる大阪市北区役所には市民の待合室にモニターが設置されていて、近隣の事業者が広告を出している。静止画像が切り替わっていく形で、その中には弁護士事務所の広告もある。役所での広告は公的な感じがしてイメージがよいし、対象者も弁護士事務所と合っているように思う。
ところで、調べてみると、弁護士事務所の広告というのはいろいろと規制が多い。
たとえば、過去に受任した事件、勝訴率といった内容を表示することは原則禁止とされているし、訪問営業や比較広告といった態様も禁止されている。弁護士事務所で「○○相談センター」という名称を記載している広告などは時々見うけるが、これも誤認のおそれがある広告とされている。「専門分野」の記載は駄目(「重点分野」の記載はOK)というところになると、過剰な規制のような気がする。
中には月額数千万円単位の広告費をかけている弁護士事務所もあるようで、それだけ高額の費用をかけても利益が出ているのだろうから、どういうシステムなのかわからないがすばらしい業態というかシステムを作っている人もいるということである。僕は今のところその1000分の1も費用をかけていないが、まあ、地道に仕事を続けて、少しでも大正法律事務所のことを皆さんに知っていただけるようになればと思う。
2016年7月12日火曜日
モンゴル憲法
最近、とある事情があって憲法(日本国憲法)を勉強しているのだが、その過程でモンゴル国憲法がどうなっているのか気になって、少し調べてみた。
モンゴル国憲法は1992年に制定された。前文と70条からなっている。前文は、次のようなものだ(以下、翻訳の間違いがあるかもしれないが許していただきたい)「我々モンゴル国民は、国の独立と主権を強化し、人の権利と自由、正義および国民の統合を志向し、国の伝統、歴史及び文化を継承し、人類の文明が達成したものを尊重し、人間的、市民的及び民主的社会を我が国に建設することを至高の目的として希求しつつ、ここにモンゴル国憲法を宣言する」
民主主義を至高の目的として、モンゴル国の独立、人権尊重、伝統や歴史文化を守るという内容で文句のつけようもない世界的な価値観に沿った内容。
人権規定は、第2章にあり、14条から19条に規定されている。著作権や特許権(16条8号)、環境権(16条2号)、知る権利(16条17号)など日本国憲法には明文にない人権も保障されている点はすばらしいし、老齢者や障害者、出産・育児の財政保障を受ける権利(16条5号)、基礎的普通教育の無償(16条7号)、犯罪被害者の救済(16条14号)といった人権保障規定もある。
国民の義務は次のとおりだ。憲法尊重擁護義務(17条1項1号)、他者の人権の尊重義務(同2号)、納税の義務(同3号)、祖国防衛と兵役の義務(同4号)、労働、健康維持、子の教育、自然環境保護義務(同条2項)。国民に憲法尊重擁護義務を課している点などは、いわゆる「闘う民主主義」か。日本では国民に憲法尊重擁護義務を課すのは立憲主義の趣旨と違うなど批判もあるが、僕はこれはこれでいいと思う。憲法は日本国の法秩序を支配する価値観として公認されているというか嫌でもある程度強制的に適用されるんだから、日本国民に擁護義務を課すことも全然OKと思うのだ。国家が憲法を根拠に成立している以上、立憲主義とも矛盾しないと思う。
これら人権規定と国民の義務規定を概観して思うのは、自民党の改正憲法案のような道徳的な義務を一切課していない点だ。家族の尊重やひいては愛国心といった価値観はたしかに大多数が自然に受け入れられる良い価値観だと思うのだが、ただ、憲法に道徳を持ち込むのは根本的におかしい。その点、モンゴル国憲法は立憲主義の趣旨、国家を国民が縛るという憲法の本質をよくふまていると思う。
国家緊急権の規定(25条2項、3項)や、地方自治に対する国の権限が強いこと(第4章)、一院制で国会議員が76人と少ないこと(第3章Ⅰ)などは、モンゴルの人口が少なく、地方には他民族もおり、臨機応変に国が対応する必要があるといった点、モンゴルという国の事情があるだろう。
日本と違う点で大きなのは、憲法裁判所(第5章)だろうか。抽象的審査制をとっている。
家畜を国民資産として国家の保護としている点(5条5項)などは、世界でも珍しいと思う。モンゴルらしい規定だ。
日本でも問題になっている憲法改正は、発議権者(法案提出兼を持つ組織及び官吏または憲法裁判所)の提案に基づいて、国会議員の3分の2以上の多数に基づいて国民投票を行い、過半数で可決された後、国会議員の4分の3以上によって採択されることになっている(第6章)。非常に厳格な確性憲法である。モンゴルでも2016年あたり憲法改正が問題になっていたが、日本のように改正条項を改正しろという議論はなかったように思う。
僕は個人的には制定権者がそれほど絶対なのかとも思うので、ごく少数説かもしれないが、改正条項を改正するのもアリと思っている。改憲規定の改正だけで実質的同一性が保たれなくなるわけでもないだろう。しかし、真の改正目標である9条改正を実現するために、改正条項の改正を真剣に議論していた日本のやり方というのは、やっぱり姑息な手段と言うしかないだろう。
モンゴル国憲法は1992年に制定された。前文と70条からなっている。前文は、次のようなものだ(以下、翻訳の間違いがあるかもしれないが許していただきたい)「我々モンゴル国民は、国の独立と主権を強化し、人の権利と自由、正義および国民の統合を志向し、国の伝統、歴史及び文化を継承し、人類の文明が達成したものを尊重し、人間的、市民的及び民主的社会を我が国に建設することを至高の目的として希求しつつ、ここにモンゴル国憲法を宣言する」
民主主義を至高の目的として、モンゴル国の独立、人権尊重、伝統や歴史文化を守るという内容で文句のつけようもない世界的な価値観に沿った内容。
人権規定は、第2章にあり、14条から19条に規定されている。著作権や特許権(16条8号)、環境権(16条2号)、知る権利(16条17号)など日本国憲法には明文にない人権も保障されている点はすばらしいし、老齢者や障害者、出産・育児の財政保障を受ける権利(16条5号)、基礎的普通教育の無償(16条7号)、犯罪被害者の救済(16条14号)といった人権保障規定もある。
国民の義務は次のとおりだ。憲法尊重擁護義務(17条1項1号)、他者の人権の尊重義務(同2号)、納税の義務(同3号)、祖国防衛と兵役の義務(同4号)、労働、健康維持、子の教育、自然環境保護義務(同条2項)。国民に憲法尊重擁護義務を課している点などは、いわゆる「闘う民主主義」か。日本では国民に憲法尊重擁護義務を課すのは立憲主義の趣旨と違うなど批判もあるが、僕はこれはこれでいいと思う。憲法は日本国の法秩序を支配する価値観として公認されているというか嫌でもある程度強制的に適用されるんだから、日本国民に擁護義務を課すことも全然OKと思うのだ。国家が憲法を根拠に成立している以上、立憲主義とも矛盾しないと思う。
これら人権規定と国民の義務規定を概観して思うのは、自民党の改正憲法案のような道徳的な義務を一切課していない点だ。家族の尊重やひいては愛国心といった価値観はたしかに大多数が自然に受け入れられる良い価値観だと思うのだが、ただ、憲法に道徳を持ち込むのは根本的におかしい。その点、モンゴル国憲法は立憲主義の趣旨、国家を国民が縛るという憲法の本質をよくふまていると思う。
国家緊急権の規定(25条2項、3項)や、地方自治に対する国の権限が強いこと(第4章)、一院制で国会議員が76人と少ないこと(第3章Ⅰ)などは、モンゴルの人口が少なく、地方には他民族もおり、臨機応変に国が対応する必要があるといった点、モンゴルという国の事情があるだろう。
日本と違う点で大きなのは、憲法裁判所(第5章)だろうか。抽象的審査制をとっている。
家畜を国民資産として国家の保護としている点(5条5項)などは、世界でも珍しいと思う。モンゴルらしい規定だ。
日本でも問題になっている憲法改正は、発議権者(法案提出兼を持つ組織及び官吏または憲法裁判所)の提案に基づいて、国会議員の3分の2以上の多数に基づいて国民投票を行い、過半数で可決された後、国会議員の4分の3以上によって採択されることになっている(第6章)。非常に厳格な確性憲法である。モンゴルでも2016年あたり憲法改正が問題になっていたが、日本のように改正条項を改正しろという議論はなかったように思う。
僕は個人的には制定権者がそれほど絶対なのかとも思うので、ごく少数説かもしれないが、改正条項を改正するのもアリと思っている。改憲規定の改正だけで実質的同一性が保たれなくなるわけでもないだろう。しかし、真の改正目標である9条改正を実現するために、改正条項の改正を真剣に議論していた日本のやり方というのは、やっぱり姑息な手段と言うしかないだろう。
2016年6月24日金曜日
モンゴルでの国際仲裁
モンゴルの法律も裁判制度も、外国人にとってはたしかにわかりにくい上に不安定な感じがして、あまり関わりたくないと考える人が多いだろう。モンゴルの弁護士が、SNSで知り合った外国人に自分の職業を教えたら、「ああ、あの法律のない国の弁護士ですか」という返事があったという笑い話?もある(自虐的なジョークだが、僕に言わせれば、こういうことを自分で言えるということは、それなりにまともな国ということだ)。
さて、モンゴルの法律や裁判がちょっと苦手な貴方にも、モンゴルの司法制度は別の紛争解決の選択肢を提供してくれている。調停と仲裁だ。調停については、僕はこの6年近く調停法の制定や制度の普及のために働いてきた。話し合いで紛争解決する制度なので法律や裁判制度を詳細に知らなくても利用できる。手数料も格安である。
今回ご紹介したいのは仲裁だ。モンゴルもいわゆるニューヨーク条約に加盟しているので、モンゴル国立国際仲裁センターの仲裁裁定は日本を含む多数の国で強制執行もできる(もちろんモンゴルでも強制執行できる)。一審制なので解決までの時間を大幅に節約できるし、当事者が合意したら仲裁の言語を日本語にしたり、仲裁で用いる法律を日本法とするようなこともできる。
このような便利な仲裁であるが、利用にあたっては当事者の合意が必要。だから、通常、紛争になっていない、契約を締結する段階で、紛争が生じたら仲裁を利用する旨の条項(仲裁条項)を契約書に入れておくのが望ましい。
モンゴルに進出する日本企業でよくある失敗が、紛争が生じた際の合意管轄を「東京地裁」などとする場合だ。日本で勝訴してもその判決をモンゴルで強制執行できない(逆も同じと思われる)。東京で勝訴しても、モンゴルで強制執行しようとすればモンゴルの裁判所で同じ裁判を繰り返す必要がある。仲裁の場合、相互に執行できるのでこのような問題は生じない。
ところで、国際仲裁、国内仲裁に限らず、仲裁人に登録されているという弁護士や学者は数多いのだが、実際に仲裁人として仕事をしたことがある人というのはかなり少ないと思われる。これは、仲裁事件の数が少ないことが主な原因だ。僕自身も、数年前からモンゴル国立国際仲裁センターの仲裁人だが、これまで実際に仲裁事件を担当したことはなかった。
それが、今年になって、仲裁事件が1件回ってきた。詳細は避けるが日本企業は絡んでいない。第三国の仲裁人として僕が選任された。結局、数回期日を繰り返して、先日、仲裁裁定書を書くことができた。僕は裁判官ではないので訴訟を指揮したことはないが、書記官として裁判官の横でたっぷり訴訟の進め方は見ている。仲裁についても、まあだいたい裁判と一緒と考えて、また、仲裁を行った経験のある弁護士に相談したりして、自分なりに手続を進めることができた。単独仲裁人だったので(通常は3人の合議)、すべての手続を自分で考えて行う必要があって、また、結構積極的に発言するモンゴルの弁護士たちをコントロールしなければならず、緊張もした。
一番驚いたのが、仲裁機関の書記官の有能さだ。僕についてくれた書記官はとても有能で、慣れない僕に対して、手続の進め方や裁定書の記載など丁寧にきちんとお膳立てしてくれた。書記官の能力は、その手続のレベルを反映している。僕も日本の裁判所で4年間書記官をしていたので、記録の作成の仕方や、手続の準備などを見ているとだいたい書記官の能力の想像がつくつもりでいるのだが、仲裁廷の書記官を見る限り、モンゴルの国際仲裁は結構いい線行っていると思う。
あとは通訳をしてくれたモンゴル弁護士などの力も借りて、なんとか、手続をすすめられた。
国内の仲裁を担当することですらかなり珍しいことだと思うので、外国、しかもモンゴルでの仲裁人経験というのはとても貴重な経験だ。仲裁廷を仕切るというのも僕にとっては緊張感があり自分の勉強にもなる。「ほかに事件があったらなんでもやるから回してね」と仲裁センターにアピールしておいた。
さて、モンゴルの法律や裁判がちょっと苦手な貴方にも、モンゴルの司法制度は別の紛争解決の選択肢を提供してくれている。調停と仲裁だ。調停については、僕はこの6年近く調停法の制定や制度の普及のために働いてきた。話し合いで紛争解決する制度なので法律や裁判制度を詳細に知らなくても利用できる。手数料も格安である。
今回ご紹介したいのは仲裁だ。モンゴルもいわゆるニューヨーク条約に加盟しているので、モンゴル国立国際仲裁センターの仲裁裁定は日本を含む多数の国で強制執行もできる(もちろんモンゴルでも強制執行できる)。一審制なので解決までの時間を大幅に節約できるし、当事者が合意したら仲裁の言語を日本語にしたり、仲裁で用いる法律を日本法とするようなこともできる。
このような便利な仲裁であるが、利用にあたっては当事者の合意が必要。だから、通常、紛争になっていない、契約を締結する段階で、紛争が生じたら仲裁を利用する旨の条項(仲裁条項)を契約書に入れておくのが望ましい。
モンゴルに進出する日本企業でよくある失敗が、紛争が生じた際の合意管轄を「東京地裁」などとする場合だ。日本で勝訴してもその判決をモンゴルで強制執行できない(逆も同じと思われる)。東京で勝訴しても、モンゴルで強制執行しようとすればモンゴルの裁判所で同じ裁判を繰り返す必要がある。仲裁の場合、相互に執行できるのでこのような問題は生じない。
ところで、国際仲裁、国内仲裁に限らず、仲裁人に登録されているという弁護士や学者は数多いのだが、実際に仲裁人として仕事をしたことがある人というのはかなり少ないと思われる。これは、仲裁事件の数が少ないことが主な原因だ。僕自身も、数年前からモンゴル国立国際仲裁センターの仲裁人だが、これまで実際に仲裁事件を担当したことはなかった。
それが、今年になって、仲裁事件が1件回ってきた。詳細は避けるが日本企業は絡んでいない。第三国の仲裁人として僕が選任された。結局、数回期日を繰り返して、先日、仲裁裁定書を書くことができた。僕は裁判官ではないので訴訟を指揮したことはないが、書記官として裁判官の横でたっぷり訴訟の進め方は見ている。仲裁についても、まあだいたい裁判と一緒と考えて、また、仲裁を行った経験のある弁護士に相談したりして、自分なりに手続を進めることができた。単独仲裁人だったので(通常は3人の合議)、すべての手続を自分で考えて行う必要があって、また、結構積極的に発言するモンゴルの弁護士たちをコントロールしなければならず、緊張もした。
一番驚いたのが、仲裁機関の書記官の有能さだ。僕についてくれた書記官はとても有能で、慣れない僕に対して、手続の進め方や裁定書の記載など丁寧にきちんとお膳立てしてくれた。書記官の能力は、その手続のレベルを反映している。僕も日本の裁判所で4年間書記官をしていたので、記録の作成の仕方や、手続の準備などを見ているとだいたい書記官の能力の想像がつくつもりでいるのだが、仲裁廷の書記官を見る限り、モンゴルの国際仲裁は結構いい線行っていると思う。
あとは通訳をしてくれたモンゴル弁護士などの力も借りて、なんとか、手続をすすめられた。
国内の仲裁を担当することですらかなり珍しいことだと思うので、外国、しかもモンゴルでの仲裁人経験というのはとても貴重な経験だ。仲裁廷を仕切るというのも僕にとっては緊張感があり自分の勉強にもなる。「ほかに事件があったらなんでもやるから回してね」と仲裁センターにアピールしておいた。
2016年6月19日日曜日
モンゴル往復はしんどいけど楽しい
今回は完全に個人的な「気持ち」を書こうと思う。
僕は最近頻繁に仕事でモンゴルと日本とを往復する生活をしている。
最近は、大阪を昼の便で出てソウルまで行き、ソウルで6時間ほど待ってからウランバートルに深夜日が変わるころに到着する、というパターンでモンゴルに行き、10日前後モンゴルで仕事をして、帰りは、深夜日が変わるころにウランバートルを出発してソウルに行き、ソウルで朝4時から9時ごろまで待ってから大阪に昼ごろ戻るという、こういう旅程のことが多い。
たいてい、翌日の朝1で大学の授業が2コマ連続してあり、前週休講しているからその補講を翌々日の朝1から2コマ連続して行う。そんなことをしながら日本で3週間弱過ごすと、またモンゴルに行く時期になる・・・・
ほぼ毎月10日以上(1年では120日、約1/3)はモンゴルにも住んでいることになるが、こんな感じでモンゴルと日本両方で仕事ができるというのは、しんどいけれど楽しい。
いや、正確に言えば、仕事はほとんどモンゴルでのものだ。僕が、JICAの契約が切れてから直面したのが、どうやって食っていくかということだ。これはもう自分で稼ぐしかない。モンゴル滞在の主目的は大使館の仕事をすることなのだが、これだけで家族を養える金額はもらえない。だから、日本に事務所を作ることにした。しかし、6月1日に法律事務所を開いてはや20日が経つが、事務所に来て仕事を依頼してくださったお客さんはまだ1人もいない。ありがちだが、保険や書籍やインターネット広告の営業の人が来ただけである。僕には、日本での収入というのはほぼない。
結局、僕の収入の90%以上はモンゴル関係で成り立っていることになる。逆に言うと、日本の弁護士というだけでは、僕には今現在ほとんどニーズがない状態だ。というわけで、今のところ日本の仕事については(大学以外は)考慮しなくて良いので、モンゴル関係の仕事に力を注ぐことができている。モンゴルの仕事は、とっても時間と労力がかかるのだが、仕事しながら勉強させてもらっていると思うことにしている。
このように、僕は今の状況にそれほど不満はないのだが、とはいえ、近い将来「日本の仕事がいっぱいでモンゴルに行く時間がどうしても作れない!」と言えるようになりたい。
僕は最近頻繁に仕事でモンゴルと日本とを往復する生活をしている。
最近は、大阪を昼の便で出てソウルまで行き、ソウルで6時間ほど待ってからウランバートルに深夜日が変わるころに到着する、というパターンでモンゴルに行き、10日前後モンゴルで仕事をして、帰りは、深夜日が変わるころにウランバートルを出発してソウルに行き、ソウルで朝4時から9時ごろまで待ってから大阪に昼ごろ戻るという、こういう旅程のことが多い。
たいてい、翌日の朝1で大学の授業が2コマ連続してあり、前週休講しているからその補講を翌々日の朝1から2コマ連続して行う。そんなことをしながら日本で3週間弱過ごすと、またモンゴルに行く時期になる・・・・
ほぼ毎月10日以上(1年では120日、約1/3)はモンゴルにも住んでいることになるが、こんな感じでモンゴルと日本両方で仕事ができるというのは、しんどいけれど楽しい。
いや、正確に言えば、仕事はほとんどモンゴルでのものだ。僕が、JICAの契約が切れてから直面したのが、どうやって食っていくかということだ。これはもう自分で稼ぐしかない。モンゴル滞在の主目的は大使館の仕事をすることなのだが、これだけで家族を養える金額はもらえない。だから、日本に事務所を作ることにした。しかし、6月1日に法律事務所を開いてはや20日が経つが、事務所に来て仕事を依頼してくださったお客さんはまだ1人もいない。ありがちだが、保険や書籍やインターネット広告の営業の人が来ただけである。僕には、日本での収入というのはほぼない。
結局、僕の収入の90%以上はモンゴル関係で成り立っていることになる。逆に言うと、日本の弁護士というだけでは、僕には今現在ほとんどニーズがない状態だ。というわけで、今のところ日本の仕事については(大学以外は)考慮しなくて良いので、モンゴル関係の仕事に力を注ぐことができている。モンゴルの仕事は、とっても時間と労力がかかるのだが、仕事しながら勉強させてもらっていると思うことにしている。
このように、僕は今の状況にそれほど不満はないのだが、とはいえ、近い将来「日本の仕事がいっぱいでモンゴルに行く時間がどうしても作れない!」と言えるようになりたい。
2016年6月9日木曜日
労働契約の期間(モンゴル)
労働契約における期間の定めというのは、重要な問題である。
一般的に、日本でもモンゴルでも期間の定めのある労働契約よりも、期間の定めのない労働契約のほうが労働者に有利だ。これは、期間の定めがない場合には、いつでも労働者は辞職できる反面、使用者は解雇が容易に認められないことが主な理由だ。
さて、モンゴル労働法には、正規雇用の労働者は期間の定めがないものとすると規定している。季節労働者、産休育休などの代替労働者、試用期間といった特に期間の定めをすることが合理的な場合を除いては、期間を定めた雇用契約が締結できないようにも思われる。
これは、使用者にとっては結構めんどうな規定だ。
アルバイトとかパートタイムとか言われる、時間単位で給与計算して雇用する労働者を使いたい場合というのは時々出てくる。そんなときに、期間の定めができないとなると、これは非常に困ってしまう。
一応、労働法にも、労働者と合意すれば正規雇用であっても期間を定められるとあるのだが、この合意というのがくせ者で、裁判所でもなかなか認められない。労働者が自分に不利益な期間の定めを受け入れるというのはきわめて例外的な場合に限られるとされているからだ。
アルバイト、パートタイム労働者について、モンゴルでは事実上合法的に雇用できないのではないか?
実を言うと、最近まで僕もそう考えていた。
しかし、最近は雇用できるという扱いに法律実務上でもなってきているようだ。
どういうことかというと2つくらいの説があるらしい。
1つは、そもそも「正規雇用の労働者」にアルバイトやパートタイマーはあたらないという説である。
もう1つは、「正規雇用の労働者」にあたるが、合意を比較的緩やかに考えるという説である。
前者は、モンゴル労働法があえてアルバイトやパートタイマーについて記載しなかったのはこれらを正規労働者にすべきと考えていたからと思われること、後者は、合意を厳格に考える最高裁の解釈などと異なる理解であることから、それぞれ批判は可能である。
しかし、これらの労働者を雇用する実際の必要性が強いことはすでに見たとおりであるし、期間の定めを設けてもよいと国立大の教官も述べるようになっている事実からは、現状はモンゴルではアルバイトやパートタイマーを期間を定めて雇用しても、問題にならなくなっているのではないかと思われる。
小さいことだけれど、実際に現地で事業を行う人にとっては結構重要な変化だといえるだろう。
一般的に、日本でもモンゴルでも期間の定めのある労働契約よりも、期間の定めのない労働契約のほうが労働者に有利だ。これは、期間の定めがない場合には、いつでも労働者は辞職できる反面、使用者は解雇が容易に認められないことが主な理由だ。
さて、モンゴル労働法には、正規雇用の労働者は期間の定めがないものとすると規定している。季節労働者、産休育休などの代替労働者、試用期間といった特に期間の定めをすることが合理的な場合を除いては、期間を定めた雇用契約が締結できないようにも思われる。
これは、使用者にとっては結構めんどうな規定だ。
アルバイトとかパートタイムとか言われる、時間単位で給与計算して雇用する労働者を使いたい場合というのは時々出てくる。そんなときに、期間の定めができないとなると、これは非常に困ってしまう。
一応、労働法にも、労働者と合意すれば正規雇用であっても期間を定められるとあるのだが、この合意というのがくせ者で、裁判所でもなかなか認められない。労働者が自分に不利益な期間の定めを受け入れるというのはきわめて例外的な場合に限られるとされているからだ。
アルバイト、パートタイム労働者について、モンゴルでは事実上合法的に雇用できないのではないか?
実を言うと、最近まで僕もそう考えていた。
しかし、最近は雇用できるという扱いに法律実務上でもなってきているようだ。
どういうことかというと2つくらいの説があるらしい。
1つは、そもそも「正規雇用の労働者」にアルバイトやパートタイマーはあたらないという説である。
もう1つは、「正規雇用の労働者」にあたるが、合意を比較的緩やかに考えるという説である。
前者は、モンゴル労働法があえてアルバイトやパートタイマーについて記載しなかったのはこれらを正規労働者にすべきと考えていたからと思われること、後者は、合意を厳格に考える最高裁の解釈などと異なる理解であることから、それぞれ批判は可能である。
しかし、これらの労働者を雇用する実際の必要性が強いことはすでに見たとおりであるし、期間の定めを設けてもよいと国立大の教官も述べるようになっている事実からは、現状はモンゴルではアルバイトやパートタイマーを期間を定めて雇用しても、問題にならなくなっているのではないかと思われる。
小さいことだけれど、実際に現地で事業を行う人にとっては結構重要な変化だといえるだろう。
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私は運転が苦手です。AT限定免許を保有していますが、自動車で公道を運転したのは免許取得直後の数回しかありません。 その数回のうち80%くらいの割合で「市場の雑踏に入り込む」「電柱に接触する」といったトラブルを経験しています。 今でも、車を動かそうとすると、なぜか後部トランク...
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私にも、昨年末、長男が誕生しました。日本で一人育児をする妻とよく話題になるのが、国の育児制度についてです。子を持つまでも漠然と「日本は子供を持つ女性が働きにくい」という感覚はありましたが、いま改めて実感します。一人で育児をする妻にとっては子供の預けにくさというのは深刻な問題だとい...
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モンゴルの裁判所に6年近く所属して、間近で裁判所をみてきた(とくに民事訴訟)。 はっきり言う。モンゴルで裁判に関わったことのある日本人は、多く「モンゴルの裁判所はクソだ」という趣旨の発言をする。「外国人は絶対に負ける」とも言う。それらご意見について、そういった意見が出てくる根拠...
