2016年7月12日火曜日

モンゴル憲法

最近、とある事情があって憲法(日本国憲法)を勉強しているのだが、その過程でモンゴル国憲法がどうなっているのか気になって、少し調べてみた。

モンゴル国憲法は1992年に制定された。前文と70条からなっている。前文は、次のようなものだ(以下、翻訳の間違いがあるかもしれないが許していただきたい)「我々モンゴル国民は、国の独立と主権を強化し、人の権利と自由、正義および国民の統合を志向し、国の伝統、歴史及び文化を継承し、人類の文明が達成したものを尊重し、人間的、市民的及び民主的社会を我が国に建設することを至高の目的として希求しつつ、ここにモンゴル国憲法を宣言する」
民主主義を至高の目的として、モンゴル国の独立、人権尊重、伝統や歴史文化を守るという内容で文句のつけようもない世界的な価値観に沿った内容。

人権規定は、第2章にあり、14条から19条に規定されている。著作権や特許権(16条8号)、環境権(16条2号)、知る権利(16条17号)など日本国憲法には明文にない人権も保障されている点はすばらしいし、老齢者や障害者、出産・育児の財政保障を受ける権利(16条5号)、基礎的普通教育の無償(16条7号)、犯罪被害者の救済(16条14号)といった人権保障規定もある。

国民の義務は次のとおりだ。憲法尊重擁護義務(17条1項1号)、他者の人権の尊重義務(同2号)、納税の義務(同3号)、祖国防衛と兵役の義務(同4号)、労働、健康維持、子の教育、自然環境保護義務(同条2項)。国民に憲法尊重擁護義務を課している点などは、いわゆる「闘う民主主義」か。日本では国民に憲法尊重擁護義務を課すのは立憲主義の趣旨と違うなど批判もあるが、僕はこれはこれでいいと思う。憲法は日本国の法秩序を支配する価値観として公認されているというか嫌でもある程度強制的に適用されるんだから、日本国民に擁護義務を課すことも全然OKと思うのだ。国家が憲法を根拠に成立している以上、立憲主義とも矛盾しないと思う。

これら人権規定と国民の義務規定を概観して思うのは、自民党の改正憲法案のような道徳的な義務を一切課していない点だ。家族の尊重やひいては愛国心といった価値観はたしかに大多数が自然に受け入れられる良い価値観だと思うのだが、ただ、憲法に道徳を持ち込むのは根本的におかしい。その点、モンゴル国憲法は立憲主義の趣旨、国家を国民が縛るという憲法の本質をよくふまていると思う。

国家緊急権の規定(25条2項、3項)や、地方自治に対する国の権限が強いこと(第4章)、一院制で国会議員が76人と少ないこと(第3章Ⅰ)などは、モンゴルの人口が少なく、地方には他民族もおり、臨機応変に国が対応する必要があるといった点、モンゴルという国の事情があるだろう。

日本と違う点で大きなのは、憲法裁判所(第5章)だろうか。抽象的審査制をとっている。
家畜を国民資産として国家の保護としている点(5条5項)などは、世界でも珍しいと思う。モンゴルらしい規定だ。

日本でも問題になっている憲法改正は、発議権者(法案提出兼を持つ組織及び官吏または憲法裁判所)の提案に基づいて、国会議員の3分の2以上の多数に基づいて国民投票を行い、過半数で可決された後、国会議員の4分の3以上によって採択されることになっている(第6章)。非常に厳格な確性憲法である。モンゴルでも2016年あたり憲法改正が問題になっていたが、日本のように改正条項を改正しろという議論はなかったように思う。
僕は個人的には制定権者がそれほど絶対なのかとも思うので、ごく少数説かもしれないが、改正条項を改正するのもアリと思っている。改憲規定の改正だけで実質的同一性が保たれなくなるわけでもないだろう。しかし、真の改正目標である9条改正を実現するために、改正条項の改正を真剣に議論していた日本のやり方というのは、やっぱり姑息な手段と言うしかないだろう。

年齢を意識する

 高校の同窓会の案内が届いた。卒業後30年以上経ってはじめての同窓会である。同級生は皆50歳を超えている。生憎、所用で参加できないのだが、いまだに14歳のときから考えていることはほとんどおんなじで年齢を意識することなどほとんどないぼくも、ああ、おじいさんになったのかとしみじみする...