2016年7月8日金曜日

学生に感謝

僕のような人間でも、たまには人にモノを教えることがある。
たとえば、今日も午前中、大学で労働法の講義をしてきた。
思い起こせば、僕がはじめて人に法律を教えたのは23歳のころだ。公務員試験の受験生に向けて労働法を講義してた。よくかんがえたら、えらく若いときから教えている。

当時の僕は労働法を教えながら自分はロクに働いたこともなく、法律の知識も今以上に拙く(ということは致命的にヤバいということだ)、早口で、あがり症で、講義のテクニックなど全くと言っていいほどなかった。
あれから20年経った今では、これらも多少は改善されていると思うのだが、カネの話をすれば、現在の大学非常勤講師の給料は、20年前のアルバイト講師の給料に遠く及んでいない。まったく改善されていないどころか、減少しているというわけだ。
いかに非常勤講師が劣悪な労働条件にあるかということだが、最近、控室で同僚(といってもほとんどが僕より10歳以上年上)の先生方と話をしていても、コマ数が減らされるとか、不景気な話を聞くことが多い。

非常勤講師はこのように経済的には不遇なのだが、それはそれとして、この仕事でしか味わえない魅力もあると思う。
僕にとって、それはやっぱり大学生とぶつかり合える、若い人の反応を楽しめることだ。
40も過ぎたおっさんの話を何時間も黙って(たまには寝ているとしても)聞いてくれる、まれには質問したりもしてくれる。そんな人間、ましてや若者など、彼ら以外この世に存在しない。なんとありがたいことだろう。たとえば妻子が僕の話をじっと3分でも聞くことなどあるだろうか。いやありえない。
そう考えると、彼らの授業態度などは些末なことに思え、いつも感謝で頭が下がるのだ。

年齢を意識する

 高校の同窓会の案内が届いた。卒業後30年以上経ってはじめての同窓会である。同級生は皆50歳を超えている。生憎、所用で参加できないのだが、いまだに14歳のときから考えていることはほとんどおんなじで年齢を意識することなどほとんどないぼくも、ああ、おじいさんになったのかとしみじみする...