2015年3月11日水曜日

全国行脚

私はモンゴルに住んでもうすぐ丸5年になる。中でももっとも他人に自慢できることといえば、おそらくモンゴルの21県すべてを訪れたことではないかと思う。

2013年の春からはじめて7月にはすべての県を回り終えた。その前後にも訪れているので複数回訪れた町も多い。日本でも東京以北と九州はほとんど行ったことがないのに、異国で、交通も発達していない中、全ての地方都市に行ったというのは、仕事がらみであったとはいえ、とても興味深い経験だった。現在、裁判所評議会の5人の委員が私同様全国の裁判所を巡回している。しかし、これも5人で手分けして巡回しているのであって、1人あたり4つか5つの県ということになる。1人で全国を回った裁判所関係者はそれほど多くないのではなかろうか。

モンゴル全国を回って感じたことはいろいろあるが、軽い驚きの一例を挙げれば、日本と違い、方言というものがほとんどないことはちょっとした発見だった。もちろん、西部の町はカザフ人が多数を占めているところなどもあり、日常言語自体が異なるというのはあるのだが、モンゴル語をしゃべる人の中ではほとんど地域ごとの方言というものはみられない。日本の裁判所では、全国転勤する裁判官などが地元の(とくに高齢者の)しゃべる言葉が分からずに尋問のときなどに困惑するといったことを聞く。私も、関西出身であるのだが、四国に転勤となり、方言が聴き取れずに困った経験がある(私の場合、当時、裁判所書記官であり、尋問内容を調書に記す仕事だったことからこれは本当に重要な問題であった)。関西と四国というわずかの距離でも言葉が大幅に違うのであるから、日本の4倍というモンゴルではさぞ言葉も違うだろうと想像していたのだが、これは全く杞憂というか間違いだった。ほとんど言葉は違わないのである。

狭い土地に根付いた生活をする農耕民族と、ユーラシア大陸全体を移動して暮らす遊牧民族の違いを実感した。モンゴル帝国の時代には西アジアにイクター(分地)制があり、日本では鎌倉時代には荘園制があった。同時代の座標軸の中で類似しているとも地域的特長ともいえる制度があったことは知識としては知っていたのであるが、その「地域」の単位が異なるのである。大陸での一地域というのは想像を超える広大さだ。現在でも日本はモンゴルの1/4の面積なのにモンゴルの倍以上の47都道府県があるのだから、よく考えてみれば、当然、そこからも類推できることであるのだが、実際にモンゴル全国を訪れるまで実感がなかった。

今年も春からモンゴル全国を7つ程度のブロックに分けて巡回する予定である。おそらく、これが実現したら、モンゴル全国を2周回ることとなる。なんと貴重な経験だろうか。実は全国行脚というのは苦痛も多いのであるが、それをはかりにかけても、今から春が来るのが楽しみで仕方がない。

年齢を意識する

 高校の同窓会の案内が届いた。卒業後30年以上経ってはじめての同窓会である。同級生は皆50歳を超えている。生憎、所用で参加できないのだが、いまだに14歳のときから考えていることはほとんどおんなじで年齢を意識することなどほとんどないぼくも、ああ、おじいさんになったのかとしみじみする...