2016年6月22日水曜日

司法試験の合格者について

いまだに「オカさんは新しい司法試験で合格したのですか?」と質問なさる人がいる(新しくなって何年経ってるねんという話だがそれはおいておく)。こういう質問をするのは、だいたいがお客さんではなくて、単なる知り合い程度の人だ。
彼らの質問の趣旨はわかっているつもりなので「はい、そうなんですよ。だいたい50%も合格した第1回の新司法試験で合格しました!」「昔の難しい試験では到底合格できないんでラッキーでした!」「ちなみに大学院も学歴ロンダリングです!」といったことをランダムに回答していく。要するに、彼らが言いたいことを先回りするのだが、それでも、「最近は弁護士さんもたいへんですね」とか頑張ってかぶせてきていただけるのはありがたい。もちろんこちらとしても「生きていくのがやっとです」とフォローも忘れていない(念のために、僕のこれらの回答は心から真実だと思っていることだ)。

さてさて、以上の不毛極まりないやりとりからも明白なとおり、要するに、弁護士というのは弁護士以外からはたいへんに嫌われている仕事です。そこで、なんとか日本社会で生きさせていただくために、僕らはなにをしたらいいのかという話をしたい。

僕は、弁護士人口を増加するのはこれは非常に重要なことだと思ってきた。弁護士がかつてのような特権的な仕事でなくなるとともに、これら嫉妬やねたみや非難や恐怖心は、徐々に薄まり、弁護士は社会の一員として受け入れられるのではなかろうか、と。
しかし、そうはいかなかった。弁護士が増加すればするほど弁護士に対する非難というか、馬鹿にする傾向がむしろ増加しているように思われる。ということは、遠回しに「収入低いですね」と馬鹿にされるということは、まだまだ弁護士は権威だということである。みなさん○○業の人にそういう言い方はしないわけだ。

にもかかわらず、最近では日弁連もが新司法試験の合格者の減少を提言し、1500人程度まで合格者を減らす方針となっている。愚かしいことだ。弁護士はもっともっと増やして、いまさら「新ですか?」とかいう質問もあほらしいくらいの状態にならなければならない。いっぱい弁護士いますけど何か?収入低いですけど何か?学歴ロンダリングですけど何か?新試験ですけど何か?と当然のように堂々と問い返すことができる程度にならなければ意味がない。司法試験合格者を減らせというのは弁護士業界での王道の主張だが、僕は基本的にこれはくだらない、ウソだらけの主張だと思っている。だから、それがまかり通っているようではこれまでの弁護士(法曹)制度の繰り返しがなされるだけであり、そういう意味では、冒頭のような失礼極まりない問いかけに回答しているのも、自業自得、税金みたいなもんと考えるしかないのかもしれない。

年齢を意識する

 高校の同窓会の案内が届いた。卒業後30年以上経ってはじめての同窓会である。同級生は皆50歳を超えている。生憎、所用で参加できないのだが、いまだに14歳のときから考えていることはほとんどおんなじで年齢を意識することなどほとんどないぼくも、ああ、おじいさんになったのかとしみじみする...