2014年10月29日水曜日

モンゴル勲章今昔

モンゴルといえば勲章!というくらい、モンゴルでは勲章がポピュラーな存在です。勲章がポピュラーといっても、いまひとつ理解していただきにくいかもしれませんが、旧社会主義国ではよくあること。日本で勲章を多数佩用するのは消防団員と相場が決まっていますが、これと似たところがあるのが旧社会主義国の勲章です。国民1人あたりの勲章発行数はモンゴルが世界一というデータもあると聞いています。


さて、そのモンゴルの勲章体系ですが、社会主義時代は、例に漏れず、ソ連の勲章体系をコピーしたものが運用されていました。
すなわち、最上位に英雄メダル*があり、その下に概略次のような勲章体系がありました。
*社会主義英雄と社会主義労働英雄の2種。宇宙飛行士英雄もありますが、これは例外。なお、モンゴルには、ナチスドイツにはじまりソ連ほか社会主義国に多く採用された母親勲章シリーズのうち、母親英雄はありません。なお、母親名誉勲章は1級、2級と若干省略された形で存在しています。

   (ソ連)       (モンゴル)
1 レーニン勲章 =スフバートル勲章

2 赤旗勲章    =戦闘赤旗勲章

3 労働赤旗勲章 =労働赤旗勲章

4 赤星勲章    =北極星勲章

このように、基本的にソ連の勲章体系に準じた体系がありました。


民主化以後、以上の体系に若干の変化が加わります。スフバートル勲章のさらに上位の勲章として「チンギスハーン勲章」という勲章が設けられました。この勲章は、これまでの勲章とは全く異なった外観で、いわゆる頚飾になっています。これは、ソ連崩壊後のロシア共和国の最高勲章として、聖アンドリュー勲章*(頚飾)が設けられたことに対応したものと思われます。
*もともとは、帝政ロシアの勲章でしたが、それを復活させたものです。

ところで、若干の変更があったものの、民主化後も、モンゴルの勲章はそれほど変化もなく、安定して運用されてきました。興味深いのは、基本的な勲章体系が旧社会主義時代そのままで維持されてきたことです*。このような社会主義国はまれです。少なくとも、勲章の中の赤い星のデザインを省略するなどの変更を加えるのが通常ですが、モンゴルでは、赤い星もそのままであり、勲章のデザインは社会主義時代のまま現在に至っているのです。おおらかな国というしかありませんし、私としては、非常に格好のよい勲章だと好意的に見ているところです。
*かつて行われていた同一勲章の複数叙勲が廃止されるなど細かい運用の変更はあるようです。


ただ、民主化後、勲章の質(物理的な材質・造り)は非常に悪くなっています。旧来は、純銀製だった勲章が合金製になり、高温で加工していたエナメルは、安価な塗りになって、全体的に非常に安っぽくなっています。これは旧社会主義国全体に言える傾向で、勲章の価値が実質的には低下しているあらわれだと思います。なお、日本や欧米の勲章も2000年ころを境にデザインの変更、製作方法の変更などなされているようですが、それほど質が落ちているようには思えません(手作り感は少なくなっていますが)。


なお、私の仕事の関連でいうと、長期間勤続した裁判官は大体北極星勲章は授章しています。ベテラン弁護士でも北極星は多いです。所長クラスになると労働赤旗勲章も視野に入ってきます。40代でこれらを授章している人もそれなりの数います(消防団と同じ感覚=功績主義ですから)。戦闘赤旗勲章は当然ながら軍人限定ですので、法曹は授章していません。スフバートル勲章以上も知りませんので、基本的には労働赤旗勲章で打ち止めということになります。それ以上の勲章としては、名誉法曹称号などがごくまれに授与されています。なお、これらは国家勲章ですが、その下のランクということになると、裁判所が発行する勲章、弁護士会が発行する勲章といったものになってきます。中堅裁判官などが授章します(私も授章させていただきました)が、これにも詳細なランクがあります。たいだい、裁判官用、上級職員用、中級職員用といったイメージで格付けされているようです。
ちなみに、外国人の最高位の叙勲は北極星という運用がされています。このあたり、外国人に与える勲章としては、北極星か、その下は友好勲章(メダル)しかないことから、上が少なく、格差が大きく、手詰まり感が否めません。なお、勲章コレクターの相場では、北極星勲章よりも友好メダルのほうが希少価値があり高価ですので、不思議なものです。


ここで、最近新たなニュースを聞きました。モンゴルで旧来の勲章体系の廃止が検討されているとのことです。個人的には、ずっと維持していただきたいのですが、むしろ遅すぎた変化なので、受け止めるしかないのかもしれません。

年齢を意識する

 高校の同窓会の案内が届いた。卒業後30年以上経ってはじめての同窓会である。同級生は皆50歳を超えている。生憎、所用で参加できないのだが、いまだに14歳のときから考えていることはほとんどおんなじで年齢を意識することなどほとんどないぼくも、ああ、おじいさんになったのかとしみじみする...