2017年4月25日火曜日

贈り物

法整備支援などで途上国に赴任している専門家は、現地の人々からいろいろな記念品をもらうことになると思う。中には勲章やメダルをもらう人もいることだろう(大使館職員や上場企業の現地支店長などで途上国に赴任している人もほぼ同じだ)。
気になるのが、その受け取り方というか、どの程度真に受けるかという話。

要するに、これらの歓迎、賞賛、御礼を本心からのものと受け止めて「オレはすごいことをやった」「現地の人に好かれている」「国際協力の本懐」とか考えるべきか、それとも一歩引いて「これはこれでありがたいが、一応の社交辞令。本音の付き合いは、また別」と考えてさらに人間性を磨くかという問題である。

思わず、これまでの成果、数年間の現地勤務の集大成、としてはじめの方向で納得・満足してしまいそうだが、できれば避けたい(もう定年などで二度と現地に行かないといった場合は別として)。あくまで一時の通過点として、「これはこういうお約束、あくまで社交辞令」程度で受け止めるのがよいのではないかと思う。そもそもこれはあなたにくれたものというよりは、あなたの所属する日本国や、JICAや、商社や、企業に対してくれたものだというくらいに考えておいたほうが間違いがない(もちろん、このような賞賛をもらえる立場にあるにも関わらず、おざなりなお土産しかもらえない人も多いから、そういう人よりはましである。でも、それなりの立場にいつつ評価されない人っていうのは、要するに、本当にクズですから、そもそもあなたと比較すべきではないのも事実だ)。

このように考えるのは、私は旧日本軍の満州進出の資料などを結構読んだり集めたりしていて、当時満州に派遣された軍人、官僚などに対して、現地の人々が大歓迎し、離任に関しては涙ながらに別れを惜しみ、お約束のように立派な記念品を贈っていた事実を知っているからである。これらは一面現地の人の本心であったかもしれないが、それはあくまで一時的なもので、または「お約束」で、本心から日本支配(実質は支配だろう)を望んでいたわけではないというのが私の見方である。このうちの何人かは、日本の敗戦後、現地の日本人に対して牙をむいたはずである(そのことが良い悪いといった問題を言っているのではない。こうなるのは当然の帰結である)。
銀などでできており、一見大変立派な「感謝 ○○殿 敬贈 ○○(送り主)」といった感謝盾や、メダル、こういったものがいかに多いことかは、残っている古物の数からしてもわかりやすい。それらが大切に保存されているということは、現地の人のうまいやり方が図に当たっているというか、当時から今までお人好しの日本人が多数いることの証明でもある。

要するに、こういった記念品は、拒絶する必要は一切ないのだが、個人レベルでは珍しいお土産程度に考えて、あっさり流しておいたほうがいいと思ういう話だ。
それではなぜお前はもらった勲章やメダルや表彰を事務所WEBサイトなどに堂々と書いているのかと言われると、これは、どうでもよい学歴や資格を記載するのと同じで、そういったものが好きな人たちの気を引くためということだ。京大卒とか弁護士資格とか、ましてや勲章とか、そういうものを本気で売りにしている人がいたらそれはかなりレベル低いし危ういが、そういうレベルの低いことが好きな人が多いのもまた事実なのだ。大衆を誘う広告である以上、テレビなどと同じで、最低レベルにターゲットを合わせるのは当然のことだろう。ぶっちゃけ過ぎだが、こういう誰にでも明らかな事実について、分かってるくせに誰も正直に言わない。こういうところも、私がむかついているところの一つだ。


年齢を意識する

 高校の同窓会の案内が届いた。卒業後30年以上経ってはじめての同窓会である。同級生は皆50歳を超えている。生憎、所用で参加できないのだが、いまだに14歳のときから考えていることはほとんどおんなじで年齢を意識することなどほとんどないぼくも、ああ、おじいさんになったのかとしみじみする...