2014年9月4日木曜日

プーチン大統領のモンゴル訪問

昨日、プーチン大統領がモンゴルを訪問しました。
日帰りでの訪問でしたが、ジューコフ博物館などを訪問したそうです。

今年は、ノモンハン事件(ハルハ河戦争)75周年にあたります。ハルハ河の戦いは1939年5月から9月にかけて行われました。当初は満州国軍とモンゴル人民共和国軍との戦闘でしたが、最終的には、関東軍とソビエト労農赤軍との大戦争になりました。この戦争でのモンゴル側の死傷者は約1000人とされています。
ロシア共同研究『20世紀の戦争におけるロシア・ソ連:統計的分析』, 2011


ビエト軍の司令官は、当時白ロシア軍管区副司令官であったゲオルギー・ジューコフ中将でした
(独断専行を主導して敗戦を招いた関東軍参謀の辻政信・服部卓四郎らは一時閑職に追いやられたもののすぐに軍中枢(後、辻は参謀本部作戦班長・大佐、戦後は衆参議員等を歴任。服部は参謀本部作戦課長・大佐、戦後は復員庁部長などを歴任。)に返り咲きますが、現場指揮官以下の軍人の処遇は悲惨であり、生き残った連隊長の多くは自決を強いられました。日本側の主力部隊であった第23師団(小松原中将)捜索隊長の井置栄一中佐(陸士26期、自決後大佐)は筆者の高校時代の恩師の父です。帰国後井置中佐は自決するのですが、軍の処遇についてご家族は非常に悲しみ恨んでいたようです。私自身も軍の対応には怒りを覚えます。)


モンゴルには現在ジューコフ博物館があります。博物館展示はこじんまりしたものですが、博物館脇にあるジューコフ像は非常に大きく、立派なものです。昨日は、ここでプーチン大統領を招いた記念式典が行われました。
5月の対独戦勝記念日もそうですが、モンゴルで過ごしていると過去の戦争の記念日や記念イベントの都度、少し後ろ暗い気持ちになります。)



今回の訪問に合わせて、両国民のビザ免除や、鉄道をはじめとする開発支援が約束されています。

年齢を意識する

 高校の同窓会の案内が届いた。卒業後30年以上経ってはじめての同窓会である。同級生は皆50歳を超えている。生憎、所用で参加できないのだが、いまだに14歳のときから考えていることはほとんどおんなじで年齢を意識することなどほとんどないぼくも、ああ、おじいさんになったのかとしみじみする...